フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

岩手・宮城行き(2)

2011-07-26 23:19:37 | today's focus

 

岩手はじつにきれいなところだ。一関から国道284号線を走ると、ゆるくカーブを繰り返す山道の両側にひろがる森の豊かさについ見惚れてしまう。そして空気は関東の高温多湿に比べたらずっと乾いている。

1時間半で岩手から宮城に入り、気仙沼市に到着。町の入り口にあるボランティア・センターを覗いた。ちょうとボランティアの方々が戻ってきたところで、長靴の泥を落としたり、テントの下で作業の報告をしたりしている。しかし、事務局の大阪から来ている方の話ではがれき撤去作業などはもうほとんど終わって、大島に少し残っている程度だという。今は生活支援に重点が置かれる端境期にあるらしい。

ボランティア・センターを辞して町に向かった。古い商店や旅館、会社などが軒を並べる、田舎の小都市によくあるような街道を走る。大正風のモダンな市役所を過ぎてから少し経って、いきなり家の1階が破壊された通りに変わった。そこから知らないうちにたどり着いたのが鹿折地区だった。

鹿折地区がどのようなところだったのか、ほとんど手がかりがないくらい、そこには何もなかった。後でインターネットを探すと4月5月は瓦礫だらけだったことがわかったが、今はもうほとんど整地されたようになっていた。わずかに崩壊を免れた家屋と、焼け焦げて錆びた車の残骸がそこここに放置されているだけだ。そんな焼け跡に巨大な漁船が堂々とあるのをみつけて、近くに車を止めた。ここはどんなところだったのだろう?ぐるりと見回してもほんとに見当がつかない。何となく残された建物から工場があったのではと思えただけだ。

どこかからおじさんが自転車でやってきたので、引き留めて話を伺った。自分もこの近くで会社を持っていたがすべて流されてしまったという。どうやら毎日、このあたりが片付いていくのを見に来ているようだ。やはり魚の倉庫や漁業関連の会社があったらしい。あそこはマツダの会社だった、と漁船の横の敷地をさしてくれた。

漁船はこれからどうしたものか。倒れないように両側から鉄の柱で支えている。写真には見えないが船の前方は宇宙戦艦ヤマトのようにかっこのよい舳先がある。海に戻すとすぐにでも使えそうな気がするが、さてどうするのか。

漁船の横の舗道をふさいでいるのは、電柱が鉄筋だけになって無残にのたうっているもの。写真に見える電柱はすべて地震後に復旧を急いで新たに付けられたものだ。電柱の立て替えはどの細い道でも行われたようだ。

その先に焼き海苔をつくっていた工場が焼けて歪んでいる。この地区で唯一見た花束がその前に手向けられていた。722日現在、死者993人、行方不明者419人とのことだが、ここでどれほどの方々が命の失われたのかと思うと、胸がつまった。でもなぜか手を合わせなかった。ぼくはその横を通り過ぎて工場の中に入り、散らばった茶碗やお皿、よくわからない布のかたまりを見ていた。

 

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