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3月11日の2時46分を前に、ぼくはカメラをもって外にでた。明るい日差しがまぶしく、その光とそれが照らす事物がいつもとちがったようにみえた。そこから東京湾の海岸にでた。風もなくしずかな波のない海が足もとでひたひたとうちよせていた。
1年が経過して、歴史的転回が起きているにもかかわらず、日本の社会はそれを見ないふりをしているように思えて仕方なかった。砂に頭を突っ込んだ駝鳥のように。学会に顔をだしてもそれは同じような気がした。とても大切な研究だと言ってくれるが、それはまるで「自分はしないけれど」と言い訳を言っているようにきこえた。
3月11日にいつも楽しく読ませてもらっている写真家のブログで東京が1年前に恐ろしく揺れたことについて「われわれは生存している。すなわち生存者だ」とあってはっとした。それから、たくきよしみつ氏の書物の中である人の言葉が紹介されていて、日本は変わらないだろう、もし全国の人々が自分も被災者だと思わなかったらといった意味のことが書かれていた。
前のブログで「非被災地」という言葉で被災地の内部と外部の中間地帯を表現したが、これもまだ不正確なのだと思う。被災者という言葉もきっと大きな間違いがある。なぜならそれはそう相手を呼ぶ自分自身を安全圏に止めようとする試みだから。同じように「つながろう」も「きずな」も、自他、彼我を区別することで、成立しているのではないか?
しかし、昨年3月からのぼくの経験を顧みれば、それは決して被災の外部にはいなかったし、緊張させられつづけていたとすれば被災者でもあったのだと思わなければいけない。自分を非被災者、非被災地域におきたい心理的反応は客観的に間違いとして退けなければならないのではないか?第一に放射能に安全圏はないのだ。写真家の「生存者」が一番正確なのかもしれない。生存者であればこそ、ぼくらは1年を経過してなおこの歴史的転回に関わり続ける動機をもつのではないか...