鹿折地区を車でぐるっと走った後、湾の左手の道を進んだ。地盤沈下と岸壁の崩壊で海面がとても近い。右に海、左はすぐ山というせまい道をゆっくり走るが、そのわずかな土地に立つ家屋も津波で破壊されている。海のほうには小さな造船所があったりするがそのあたりにも燃え残った黒こげの船が水面に傾いていた。鹿折地区とちがってまだまだ片付いていない様子だ。
左に山道に入ると景色は一変する。山道の上にはごく普通の生活が見える。そこに浦島小学校の標識があり、細い道がさらに山に続いていていた。夏休みの土曜日だったせいか、門もしまり人もだれもいなかった。ここはしばらく避難所にも使われていたところだ。当時は20数名の児童が通う小さな小学校だったが、今は他地域に移らざるをえない子供たちが多く、13名に減ってしまったと誰かのブログで読んだ。神戸でよくみかけた仮設住宅がグランド一杯に出来上がっていた。
蝉は夕方近くなって鳴くのをやめていたが、かわりにウグイスが鳴いていた。写真を撮らなかったので小学校のHPから写真を拝借する。グランドの向こうにわずかに海が見える。子供たちはもしかしたら津波を見ていたかもしれないが、小学校からはきっと町が津波に襲われるのは見えなかっただろう。見えなかったと思いたい。