帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (410)唐衣着つつなれにしつましあれば

2018-02-06 20:00:41 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

東の方へ、友とする人一人二人誘ひて行きけり。三河

国八橋と言ふ所に至れりけるに、その河のほとりに、

かきつばた、いと面白く咲けりけるを見て、木の陰に

下り居て、かきつばたと言ふ五文字を、句の頭に据へ

て、恋の心をよまむとて、よめる   在原業平朝臣

唐衣着つつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞおもふ

 

歌の詠まれた表向きの事情は、上の詞書から推量するとして、伊勢物語九に物語風に、わかりやすく記されてあるので、それを現代語にして、言の戯れの意味も加えて読んでみよう。


 「むかしをとこありけり(昔、男がいた…武樫おとこを持つという男がいた)そのおとこ、(ある事件の後に)我が身を用のない物と思って、京には居られないだろう(命さえ危ういと)、東の方に住むべき国を求めて行ったのだった。もとより友とする人一人二人して行ったのだった。道知る人もなく惑い行った。三河の国八つ橋という所に至った。そこを八つ橋と言ったのは、水の流れゆく川が蜘蛛の手のようだったのでだ、八つ橋(多くの身の端…多情な身の端)と言ったという。その沢の辺りの木陰に、(馬より)下り居て乾飯を食った。その沢に、かきつばた(杜若)とっても面白く咲いていた。それを見て、ある人の曰く、か・き・つ・ば・たと言う五文字を句の上に据えて、旅の心を詠めと言ったので、詠んだらしい・歌」

「よんだらしいので、皆の人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり((乾飯ともども…心も身の端も)ふやけてしまった」。

 

(唐衣、着つつ、よれよれになった妻が居るので、はるばる来てしまった旅を、惜しいと思う……色情ゆたかな心と身、着つつ、慣れ親しんだ妻と身の端が、都にあるので、愛おしく、残してはるばる来てしまった、このたびを惜しく思う)

 

「唐衣…色彩豊かな女の上着…色情豊かな女の心身…わが空の心身」「衣…心と身の換喩」「なれ…慣れ親しむ…なじむ…衣がよれよれになる」「旅…度」。

 

 わが空心、本妻を残し、はるばる来てしまったこの度の旅を、惜しく未練に思う――歌の清げな姿。

京には居られない事情があった。

 

色情ゆたかな心と身、慣れ親しんだ本妻と身の端が、都にあるので、愛おしく、はるばる来てしまった、こびを惜しく思う――心におかしきところ。

ただ、命からがら、京を逃れてきたのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)