帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの後十五番歌合 十五番

2015-01-10 00:16:03 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合


 

「後十五番歌合」は藤原公任(又は子の定頼)が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。

和歌が鎌倉時代に秘伝となって埋もれる以前に帰り、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に学び、貫之のいう歌の様(表現様式)を知り、言の心(歌言葉の多様な意味)を心得て歌を紐解けば、歌の衣の帯とけて、心におかしきところ、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるはずである。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 十五番


                          花山院御製

木のもとを住家とすればおのづから 花みる人になりぬべき哉

(宮中を離れ・木の許を住家とすれば、自然と、ただの花見の人になってしまうのだろうなあ……男木の許を住処とすれば、自然と・おとこ花、見る女になってしまうのだなあ)

 

言の心と言の戯れ

「木…花の木…梅桜など…男木…言の心は男」「住家とすれば…(退位して仏道修行に入り木の許を)住処とすれば…(女が男の許を)住家とすれば」「花…男花…おとこ花」「見…覯…媾…まぐあい」「人…唯の人(男)…女」「ぬべきかな…きっとなってしまうだろうなあ」「ぬ…完了の意を表す」「べし…確信ある推量の意を表す…きっと何々だろう」「かな…感動の意を表す…詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、退位した自らの生きざまについての思い。

心におかしきところは、係りし女たちの生きざまについての思い。

 

 

                         中務卿具平親王

世にふれば物思ふとしもなけれども 月に幾たび詠めしつらむ

(世に経て老いれば、語れないほどの悩みする歳月ではなかったけれども、月に幾度、月を・眺めたことだろう……夜に触れ振れば、もの思う疾しはなかったけれども、尽きたのに、いくたび永め、詠嘆したことだろう)(花山院の叔父にあたるお方)

 

言の心と言の戯れ

「世…夜」「ふれば…経れば…古れば…老いれば…触れば…振れば」「物思ふ…言い難いことを思う」「とし…年…歳月…疾し…利し」「月…月人壮士…壮士…男…おとこ…突き尽きるもの」「詠め…眺め…見つめ…永め」「見…覯…媾…まぐあい」「らむ…事実を推量するように婉曲に述べる」

 

歌の清げな姿は、月を眺めての感想。

心におかしきところは、おとこのはかない性の詠嘆。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。


 

ここに紐解いた歌解釈は、長く広く定着してしまった国文学の歌解釈とは大きく異なるので、私的な考察を少し述べる。

 

◎国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語のあることを指摘して、「歌言葉の戯れ」を把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加える、そうせざるをえない方法である。歌の「心におかしきところ」は全く伝わらない。江戸の国学から始まる国文学的な歌解釈は、平安時代の歌論や言語観から遠く離れてしまった。


 ◎和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸のようである。視覚・聴覚に感じる景色などに、寄せて(又は付けて)、官能的な気色・時には人の深い心根も、同時に表現し得る。エロチシズムのある様式のようである。


 ◎貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)が顕れる。それを俊成は「煩悩」と言ったのである。
歌に詠まれた煩悩は即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。歌の「心におかしきところ」がまさに「心におかしい」のは、そういうことらしい。


 ◎公任は和歌の表現様式を的確に捉えた最初の人である。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とは、優れた歌の定義であるが、先ずそのような歌を詠んでいたのは、柿本人麻呂と山辺赤人である。紀貫之が二人を「歌のひじり」とまで賞賛したのはそのためである。ところが、平安時代にはいると、歌は「色好み歌」と化した。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落していったのである。そして歌は「色好みの家に埋もれ木」となったという。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちの実践である。心深く姿清げで心におかしきところのある歌を希求し詠んだ。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の本となっていた。戦国時代を経て再び歌は「歌の家に埋もれ木」となった。一子相伝の秘伝となったのである。


 ◎江戸時代の賢人達は、その「秘伝」と「貫之・公任の歌論や言語観」を無視した。そして彼らの歌論と言語観で和歌を解いた。それを本として国文学的な歌解釈がある。従って、歌の「心におかしきところ」と、「浮言綺語の如く戯れている」歌言葉の意味は、埋もれ木のままなのである。

 

以上で、公任卿撰「前後十五番歌合」の新たなる解釈は終わる。

しばらく休むけれども、古典的和歌を紐解き帯解くことは止めない。