『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

まぼろし堂

2010年09月25日 13時35分10秒 | 航海日誌

今から9年前だが、「ラパン」という雑誌編集者をしていたとき、個性派書店の特集をやり、荒俣宏さんを古書店「まぼろし堂」店主に仕立て上げ、ほんとうに荒俣さんの稀覯本を売ったことがあった。今は文京区にある平凡社が碑文谷にあった時代で、地下に荒俣書庫があり、そこを古書店に見立てて撮影し、目録を作って誌上で売ったのだ。

漫画「若いふたりの山脈」浅丘ルリ著(500円)から、フンボルト「コルディエラ景観集」1810年(120万円)、江戸期の虫図譜「栗氏千虫譜」(370万円)などなど、まあ珍しいというか、知らないような本ばかりを並べて面白がっていたら、1冊だけほんとうに買い手がついた。「アンデルセン童話集」1872年(13万円)である。ビクトリア期の美しい挿絵入りの名著だ。

「ほんとうに売ってくださるのですか?」と言いながら現金を持って現れたのは20代の美女であった。荒俣さんが「もちろんお売りしますよ。貴女のような方ならざぞかし大切にしてくださるでしょうからね」と、愛娘を送り出すかのような声で言い、自分の著作もおまけに付けて手渡したのであった。それをそっと胸に抱き、微笑みを残して去っていったあの女性は謎の存在だ。

このときのラパンに僕は「本に泳ぐ魚、或いは瞑想的人間のフィッシング」というショート・ショートを書いた。魚とは紙魚(シミ)のことで、古書にはこの不可思議な魚が棲んでいて、文字の谷間を回遊しているという話。古紙の香りを嗅ぎながらこの魚と遊ぶ悦楽をフランシス・ベーコンやウォルトン候に登場してもらって好き勝手に膨らませ、ミジンコほどの紙魚を巨魚のごとく書いたが、あの女性が持ち去った「アンデルセン童話集」にも間違いなく紙魚が棲んでいることだろう。

さて、そんなことを思い出しながら、夕べなにげに手元の本を開くと、何年ぶりだろうか久しぶりに紙魚が1匹現れて、活字の間をつつつっと泳いでいったので、とたんに僕はうれしくなり、紙魚にありがとうとまで言ったのである。