『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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腹を決める

2009年09月29日 09時37分16秒 | 合氣道のすすめ
人というものは、大きくいうと頭と腹で生きている。頭で考え、腹で動く。人体的にそう出来ている。考えだけでは生きられず、何かを食べて栄養にしているとおり。食べるものは食物だけではない。考えの素も食べているから、腹に「氣」として溜まる。人体の栄養になる氣もあれば、毒になる氣もある。

「あの人は腹がある」と言われる場合は、腹に溜まった毒素のことを指されている。裏腹である。また、「あの人は腹がない」と言われる場合は、心身が清潔なのである。いわんや、人は誰しも清廉潔白を望むが、なかなかそうはならない、出来ない。それは腹というものの有り様を知らないからだろう。知らなければ、腹を決めることは出来ない。武士が切腹するのは、腹の中を見せていさぎよしとする最後の儀式である。

胃袋が第二の脳と呼ばれるのは、まさしく。考えるのは頭の仕事だが、それ以外の思い「氣」を受け止めて溜めておくところが腹だ。腹がすわっていれば問題ないが、これが過ぎれば身体が壊れる。胃潰瘍はそういう現象である。さらに酷くなればガン化してしまう。物事がきゅうきゅうとなれば、腹が痛くなるのは腹が受け止めているからである。やせ我慢で、片腹痛いなどとも言う。

だから、今の世で腹に黒い氣を溜め込んでいる者は、早かれ遅かれ自分を腐らせて自滅していく。恐らく、その覚悟などなく、腹をくくることなく、無自覚にそうしているに違いない。どんな言い訳も、自分の身体には通じない。自業自得というよりほかはないのである。天が罰を与えるなどという必要もない。それが人間に与えられた自由平等の、ほんとうの有り様である。


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