『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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不確実性の時代の極み

2013年09月04日 09時55分28秒 | 航海日誌
米国の経済学者ガルブレイスが、70年代末、世界経済を「不確実性の時代」と呼んだ。対して、フリードマンは「選択の自由」を提唱し、その新保守主義の流れから80年代にレーガノミクスが生まれ、日本も右ならえで突進し、バブル崩壊、失われた20年を経て、サブプライムローンが発端でリーマンショックが起こり、結局ガルブレイスが正しかったか、と。これは経済の問題である。

 経済は、経世済民、世の中を治めるの意である。時を経て・・・今、ほんものの不確実性の時代が到来した感が極めて強い。経済はとっくに崩壊しているのではないだろうか。アベノミクスというまやかしの幟をはためかせ、自民党がゾンビのごとき復活。2013年9月1日、オバマはシリアへ軍事攻撃を加えると宣言し、これにロシア・中国は真っ向から反旗を翻している、のだ。安倍政権は米国追随を即刻、宣言し、亡国への道を歩まんとしている。

日本国民は、どこかよそごとのように今日も日々の利益追求に明け暮れている。時代の趨勢に、誰も逆らえないのだろう。そんなことを杞憂したって、どうにもならんと。「不確実性の時代」なのだ。ただし、それはいつの世もである。一寸先は闇。ただし、世界の安定期と不安定期とでは、状態は雲泥の差だろう。日本の危機、世界の危機、(今日までの)世界は終りに向けて急坂を転がり出している。

忘れてならないのは(無自覚の中であっても)非常事態宣言の只中に、日本はすでにあるということだ。福島の原発事故はまったく収束していない。高濃度汚染は続いている。再び大地震が起こって燃料棒満載の建屋が倒壊したら、どうなるだろう? 東日本は終わるか、いや、もっと広範囲の放射能汚染となるやも。毎日、汚染水は大海へ拡散されている。これを止めなければ大洋は死の海となるのかもしれない。

だから、人々は、いまだに不確実性のなかでたゆたっている。大地がぱっくり割れて、逃げ場のない時となるまで、ずっと不確実なのだ。

そんなの、なってみなくちゃ、わからん。
なったら、なったよ。
なるときを、みんな、絵空事のように、眺めている。

すごい時代になったもんだ・・・と、隣で微かな声がした。
すごい時代は、これから、そして、新たな時代が、たぶん、もっとすごい。

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