『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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宮古島のシャーマン2

2009年05月15日 12時19分31秒 | 宮古島のシャーマン
「私らが偉いんじゃない。神さまのおっしゃることを伝えているだけだからね」とカンカカリャのNさんが言った。私らというのは、島にいるカンカカリャのことだ。さらに沖縄諸島全体では、ユタと呼ばれるシャーマンが、数のほどは定かではないが大勢いる。また、日本各地をみても、いわゆる霊能者と呼ばれる人々も数多くいるだろう。私ら、という物言いは、そのすべてを指しているとも思えた。

とにかく、私らが偉いのではないとNさんは言う。しかし、目の前で述べられるご神託は、当事者の心中を見透かしたような内容で、恐れ入るのだ。なぜ、それが判るのだろう? どうすればいいのかと。では、どのように、そのご神託が降ろされるのか、筆者の体験から実況を解説してみたい。

畳敷きの部屋に、祭壇がしつらえられている。Nさんの場合は洋タンスを改造した手作りの祭壇だ。Nさんは50代女性で、ふくよかな笑顔だ。少し雑談を交えながら名前と住所、生年月日を聞かれる。祭壇に線香を供え、宮古方言での祈りが始まる。どこどこのなにがしが訪ねて参りましたので、と、Nさんが繋がる神へ伝えているのだ。その後、十数分も祈りが続き、それから声の調子が変わった。同じく宮古方言で、旋律にのせた民謡のようなものだ。これは「御声(うくい)」と呼ばれ、神からの言葉を受け止めて、リズムにのせて伝え聞かせている。島民ならば、その御声を聞けば神託の意味が解るが、島外の者にはさっぱりである。島民はそれを聞いて納得して帰るという。

私の場合は、この御声が45分も続いた(取材用テープ録音で記録)。長い部類のようだ。声が止まり、「事故で亡くなった友人がいるでしょ。どこか暗闇に突っ込んでいくのが見えるけど」と言われた。まさしく、青年時代の無二の親友が夜中に造成地に止めてあったダンプに車で突っ込んで亡くなっていた。その彼が寂しがって会って話したがっているという。それから、「先祖で行方不明で亡くなった方がいらっしゃるでしょ?」と。これもまさしく、何代か前にそういう先祖がいて、祖母から話を聞いて気になっていた先祖だった。そのほかにも、あれこれと心中を貫かれるような話が出て、それらが、ひとつの物語のように繋がっていった。戸惑いから、これは冗談話ではないと思い至った。

実は私は、子どもの頃から不思議な体験があり、そういう話を聞いても余り驚かないのだ。妹の事故を予知したり、誰だか知らない声が聞こえたり、自分も霊媒体質があるのか、そういう事がたまにある。ゆえに、かえって用心深いところがあり、心眼を問うのだ。また、長年の雑誌記者経験から、言われるままを鵜呑みにはしない。Nさんへの眼差しもそうだった。しかし、このときは違った。ちょっと明かせない個人情報も多々あったのだ。とにかく驚くばかりだった。これは本物だぞ、というのが私の実感だった。約4時間にわたって、私の個人相談が続いたのである。
(つづく)


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2 コメント

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宮古からです。 (Unknown)
2009-05-15 15:19:02
こんにちは
ブログ読ませて頂きました。今日根間さんのところに行ってきたので気になって検索してみたら貴方に出会いました!
ありがとうございました。
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縁ですね (ゆうでん)
2009-05-16 12:03:57
宮古島からコメントありがとうございます。
検索で辿り着かれたとのこと、縁を感じました。
これも、ぴるます(ふしぎ)かな。
それにしても、根間さんのところへ行かれて、その日にとは!
宮古のこと、また掲載しますから、ぜひお読みください。
また、コメントもお気軽に、どうぞよろしく。

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