『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

思わぬ展開5

2009年05月29日 17時01分17秒 | 未知への扉
山々に囲まれた高野山という聖地は、母体(子宮)だと、昨日の記事で書きました。そういう超自然的な空間を、空海さんは創ったのだと。そして、開山の20年後、承和2年(835)3月21日、62歳のときに即身成仏されました。後世、人々を救済せんがため、この世にとどまると約束されて。

私は、女人道のろくろ峠から高野山を見下ろしたあと、金剛峰寺に戻り、そこから参道を歩いて弘法大師御廟へ向かいました。500m程進むと、奥の院参道へ渡る一の橋があり、杉の巨木並木の中に延びる参道に沿って、供養塔が並んでいます。その約2キロ進んだ最奥に、弘法大師御廟があり、次いで皇室や貴族、法然や親鸞など各宗派の開祖、それから上杉、武田、織田、伊達、豊臣、徳川家といった名だたる戦国武将と一族、また後の諸大名家、文人、庶民などの供養塔が累々と建ち並び、荘厳な世界を創っています。

さて、一の橋を入ってわりとすぐ、鎌倉時代の曽我兄弟の供養塔がありました。源頼朝の世で、親の敵討ちで悲運をとげた兄弟の物語は歌舞伎の演目でも知られています。私からすれば、これもまた源氏の因縁に思え、ここから感謝供養が始まりました。その後は手を合わせながら、参道を歩きました。弘法大師御廟までは、約2キロの道程です。途中の中の橋まで来ると、もう夕刻で時間がありませんでした。御廟は朝のうちにお参りを済ませていましたから、途中で引き返しました。帰路もまた、「生かして頂いて ありがとう御座います」と唱えながら歩き、そこでふと気づいたことがありました。

皇室から武家、庶民に至るまで、ひとつの場で供養されている所がほかにあるだろうか。この供養塔の並ぶ参道は、母体の中心であり、どんな人間も一切の苦難から解放されて和合しているのだと。高野山にのぼる前日、金沢の倶利伽羅峠で源平和合を祈ったばかりでしたから、心底、奥の院に感応しました。ああ、自分はここへ導いていただけたのだと、言葉で尽くせぬ感謝の念が湧き上がりました。人は母体から産まれ、また、母体へ帰ってゆくのです。その道程で、高野山を体験するということは、忘れているなにかを思い出すことなのかも知れません。「生きているうちに気づいたら幸い」と、そのための道場なのだと思いました。

高野山では、なにも奇異なことは起こりませんでした。なぜなら、ここは和合浄化されている聖地だからです。ふしぎ奇異は、サインです。知らせです。奇異に、それ以上の意味はありません。往々にして、奇異を求めるものですが、そこから導き出されることに気づかなければ意味がないのです。高野山で何事もなく、気持ちがスッキリ静まるということそのものが、ふしぎなのです。あれほどの戦いをした、諸大名が仲良くいっしょに供養されているのですからね。それこそが、奇跡をみたのだと思えるのです。
(おわり)


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