『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

海の幸

2009年05月13日 19時26分10秒 | 航海日誌
沖縄・宮古島の友人が天然もずくを送ってくれた。彼は雑誌カメラマンで、12年前に私と一緒に宮古島を訪れ、宮古の強烈な魅力の虜になり、その数年後に移住した。もともと水中写真もやっていたから、陸での写真に終止符を打って、海専門で行こうと移り住んだ。当初は、鰹漁の船で漁師の見習いをして、海を覚えた。今では自分の漁船(和剛丸)の船長をしている。

宮古島の離島、池間島に住んでいる彼は兼業漁師だ。ダイビング客のあるときは、八重干瀬(やびじ)という広大な珊瑚礁帯へ案内して愉しませ、客のないときは、もずくを採ったり、グルクン(沖縄の県魚)を釣ったりして生活している。私も年に1度、宮古島を訪れて、彼に遊んでもらっているが、一週間など、あっという間に過ぎて、帰りたくない病にかかっているのが毎度の事だ。

宮古島は、神高い島、あるいは癒しの島と呼ばれている。私は、1997年に宮古島でふしぎな体験をし、『ソウルボート』という本を書いたが、その中に登場する相棒が、彼である。御嶽(うたき)という島の聖地で私とシャーマンとのやり取りを部外者といった立場で傍観していた彼だったが、その不思議な時間の渦に巻き込まれ、強烈な神秘体験をしたのだった。相当にショックを受けたようで、その体験が彼に人生転換をさせ、島に移住させたのだ。

やはり、体験というものは、100万巻の書物を超えるのである。なのに私は、そういうことがあるのだと伝えんが為に、本を書いたのだから何と申せばいいのか。体験への扉になればとの思いだった。わたしたちが何となく思う神というのは、自然の結晶のような存在で、目には見えない存在だろう。また、神にもいろいろあって、世間で誤解を招いている事例もあまたある。金が絡んでどうだこうだの問題もいとまなしだ。ところが、ああいう島の素朴な信仰に触れると、身を洗われたような気持ちになって、なんだか、いろんなことがさっぱりするのだった。

それを知っているひとりが、彼だ。友よ、もずくをありがとう! 今夜は泡盛飲んで、感謝の宴をいっちょ、やるかのう。


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3 コメント

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もづく (ahhaha)
2009-05-13 22:58:07
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これは美味しいです!
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もずくで泡盛 (ゆうでん)
2009-05-13 23:34:54
今日は、なにか大きな節目だったようです。
周囲の氣が変わりました。すると、いろいろな物事が動く。
目に見えないものを信じるのではなく、
感じれるようになればいい。
見えないものを見えないままで説明ではできないと。
言葉では説明できないが、体験すれば、それを感じる。
誰かが言ったことを信じることはない。
感じた自分を知ればよいと。
これで、信じる宗教は終焉です。
あるのは、自分宗教。内在神
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kannjiru (ahhaha)
2009-05-13 23:56:25
今日先輩に釣りに行こうと朝電話があった。

もずくを採りに行こうと思っていたが、ミーバイ釣りに行った。

錘が沈んでいく、根掛りしたが、そのまま吹かせ釣り状態にした。普段なら根掛りした後はすぐに回収するが直感でそのままのしていたら3キロのバラハタがイカゲソに食いついてリールのラインを思う存分出して行ったが、根に入ることが出来ずに水面まで引きずられて来た。

なんだかんだ9匹のミーバイを3人で釣ったが、1匹しか売れず、残りは冷凍庫へ。

9匹の魚の中で卵を持っていたのが2匹、残りの7匹は産卵が終わっていた。

売ってしまった魚が卵を持っていたかはわからないが、きっと産んだ後だろう。

まあいいや・・・明日はもずくを見に行こうかな?!

見えない魚釣りは楽しいのだ!
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