『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

旅の道、人の道

2010年08月02日 07時21分50秒 | 合氣道のすすめ
文筆業という仕事柄、旅をすることが多い。旅行系雑誌の取材で、毎月のように何処かへ出かけている。取材のテーマにより、訪れる地はさまざまなのだが、近年は今の世相を反映してか、「聖地」へ行くことが増えた。少々、列記すれば、伊勢、熊野、奈良三輪山、出雲、高野山、伊吹山、白山、月山といった古代から信仰される地や、聖なる山である。

まるで巡礼者かと我ながらに思うが、仕事という名目があって「行かせてもらえる」ことになる。いつか行ってみたいと思っていた地ばかり。ふしぎである。御縁を頂いて、ありがとう御座いますと頭を垂れ、参る。

去年の暮れには、「熊野古道」を歩いた。伊勢神宮から熊野速玉大社へ続く約170キロの山ひだを往く道である。その昔、伊勢参りから、さらに熊野詣を目指した人々の巡礼の道。平成16年に世界遺産に登録され、この古道を歩く人々が増えているとか。全行程を歩きたいところだが、そこは日程が限られた取材だ。

さて、ツヅラト峠、馬越峠など幾つかの峠を越えて、曽根次郎坂・太郎坂に至った。樹林のあいだに熊野灘が遠望され、苔むした石畳が続く古道の、峠の手前の路傍に、巡礼供養碑があった。文政13年(1830)、熊野を目指し、当地で行き倒れた武州(埼玉)の人を弔う碑であった。線香を手向け「生かして頂いて ありがとう御座います」と祈った。

今年の春、やはり取材で訪れた出雲大社や須佐神社でも同じく祈った。島根県佐田町に鎮座する須佐神社はスサノオ尊が「小さき国なれどよき処」と最後まで暮らした地である。「出雲風土記」にそう記され、スサノオ尊は神話の神でありながら、当地では実在の人物のようである。歴史には秘された事々もあまたあるのだろう。

訪れた地に祀られるのが神でも仏でも、参拝すれば「生かして頂いて ありがとう御座います」と唱えている。それはなぜか。有り難きことに人としてこの世に生を受け、今生きて歩けることの感謝を、土地土地で縁を頂いた神仏、祖先、先人に礼を尽くすことのあたりまえを想うからである。それぞれの土地には必ず人の営みがあり、今は目には見えないけれど、その歴史があって他所の者が歩ける道があるのだ。旅をするということは、その道を歩くことにほかならない。

ところで、「道」という文字をよく観ると、しんにゅうに首が据わっている。このつくりの意味は足が行き来する動態を顕し、そこに首(頭)がのっているのが、つまり道。漢字は表意文字であり、人が歩いている様が道そのものの意味である。

われわれが日々、稽古をさせて頂いているのは合気の道とはいわずもがな。私もこの道を歩かせて頂き、そろそろ十年になろうかというところで、ふと。

道というのは道程であるが、距離ばかりでなく、時の流れでもあるのだと想う。入門当初はわけもわからず手を振り回して、汗まみれになりながら息があがり、「難しいから面白い」などとのたまいながら今に至った。いったい幾人の方々と、受けと取りを繰り返したことだろうか。

それら数々の稽古の時間の中にも、人の歩む道がある。ゆえに感謝の想いを胸に、道場へ参り礼をして、稽古が終われば「ありがとう御座います」と声に発し言霊にするのである。

さてさて、この寄稿を生のまま高校生の息子に読ませたら、「理解できたよ」と云った。彼は小3から中3まで本部少年部で稽古した男子である。であれば親子共々ということで、これを合気道探求に捧げたい。

季刊誌『合気道探求』(第40号)より