礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「優生学」は、まさに今日の問題

2024-01-23 00:55:54 | コラムと名言

◎「優生学」は、まさに今日の問題

 映画『ニュールンベルグ裁判』には、いくつかの重大なテーマが含まれているが、そのひとつに、「優性学」をめぐる問題がある。
 この問題についても、当ブログで扱ったことがある。手抜きで申し訳ないが、六年ほど前の記事の再録させていただきたい。

◎優生学と日本版「ニュールンベルグ裁判」  2018-01-31 
 昨日(二〇一八・一・三〇)の東京新聞夕刊の一面の見出しは、「不妊手術強制 国を初提訴」であった。記事によれば、旧優生保護法(一九四八~一九九六)は、知的障害、精神疾患、遺伝性疾患などを理由として、本人の同意なしに、不妊手術を強制することを認めていたという。実際に、一九七二年に、当時、十五歳の女性が不妊手術を強制されており、その女性が、昨日(二〇一八・一・三〇)、仙台地裁に、国に対し損害賠償を求める訴訟を起こしたという。
 記事を読んで、みずからの無知を思い知らされ、愕然とした。旧優生保護法に、強制不妊手術を許用する規定があったことも、その規定によって不妊手術を強制され、苦しみ続けてきた女性がいることも知らなかった。
 二〇一六年七月二六日に起きた「津久井やまゆり園」事件によって、今日でも、「優生学」の信奉者がいるという事実を知って、ショックを受けた。また、同年九月に刊行された八木晃介氏の『生老病死と健康幻想――生命倫理と思想優生のアポリア』(批評社)を読み、「優生学」が、まさに今日の問題であることに気づき、認識を改めた。
 しかし、戦後の日本において、半世紀近くもの間、強制不妊手術を許用する「優生学」が生きていた事実を知らなかった。みずからの無知を恥じる。
 昨年一〇月、スタンリー・クレーマー監督の映画『ニュールンベルグ裁判』(MGM、一九六一)を観た。この映画については、すでに、当ブログで紹介したこともあるが、重複を覚悟で、再度、紹介を試みる。
 この映画は、ゲーリング、ヘス、リッベントロップなど、第三帝国の首脳が、ニュールンベルグで裁かれた「ニュールンベルグ国際裁判」を描いたものではない。その国際裁判のあとに、同じくニュールンベルグで、アメリカがおこなった「ニュールンベルグ継続裁判」を描いたものである。
 この映画で描かれるのは、その「ニュールンベルグ継続裁判」の一部、ナチ政権下、エルンスト・ヤニングら四人の法律家が関わった「ふたつの裁判」についての裁判である。この「ふたつの裁判」の是非が、あるいは、この「ふたつの裁判」に関わった裁判官の責任が、争われた裁判である。これら四人の法律家、ふたつの裁判、裁判の対象となったふたつの事件は、あくまでもフィクションであるが、モデルとなった裁判、法律家、事件が、実際にあったと思われる。
 さて、そのふたつの裁判だが、ひとつは、断種法に関わる裁判で、もうひとつは、「ドイツの血とドイツの名誉の保護のための法律」に関わる裁判である。
 前者の裁判に関しては、ナチ時代、「断種」(強制不妊手術)の対象とされた男性(キャストは、モンゴメリー・クリフト)が出廷し、証言する場面がある。その場面を見ながら、ひどい時代があったとは思ったが、感想は、そこにとどまっていた。まさか戦後の日本において、半世紀もの間、そういう「ひどい時代」が続いていたことを知らなかったからである。
 今回、仙台地裁に提訴された裁判で、国側は、強制不妊手術が「当時は合法だった」という論理を持ち出すことであろう。問題なのは、まさに、「当時は合法だった」という事実、そのことを、半世紀もの間、ほとんど誰も問題にしなかったという事実なのである。
 今回の裁判は、今後、「戦後優生法裁判」などと呼ばれるのだろうか。どういう呼称が定着するかは不明だが、これが、日本版「ニュールンベルグ裁判」として、全世界から注目されるであろうことは、まず間違いない。

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