礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

松任谷正隆氏とホンダN360

2018-03-05 02:29:36 | コラムと名言

◎松任谷正隆氏とホンダN360

 雑誌『JAF Mate』第五六巻第二号(二〇一八年二・三月号)に、松任谷正隆氏の「初ドライブの話」というエッセイが載っていた。文章は巧み、話題も興味深く、楽しく読ませていただいた。
 エッセイによれば、氏は、一六歳のとき、「調布のほうにある自動車教習所」で軽自動車の免許を取ったという。この「調布のほうにある自動車教習所」というのは、たぶん、今でも調布市菊野台にある「調布自動車教習所」のことであろう。教習車は、マツダ・キャロルだったという。
 そのころ、軽自動車限定の免許というものがあったことは、よく覚えている。高校一年の時、同級生にフトン屋の息子がいて、彼の運転するスズキの軽に載せてもらった記憶がある。このころ、軽の免許は、一六歳から取得できたが、実際に取る人というのは、そう多くなかったと思う。中卒で仕事に就いていて、仕事上、車を運転する必要があった若者、家計に余裕があり、軽自動車を買ってもらえるような高校生、などに限られていたと思う。
 松任谷氏の場合、家にマイカーはなかったようだが、高校生の息子が免許を取るのを許してくれたというのであるから、家庭的には、やはり、めぐまれていたのであろう。
 エッセイによれば、氏の免許取得を、一番よろこんでくれたのは、「新川クリーニング」のお兄さん(御用聞き)だったという。この「新川クリーニング」というのは、たぶん、今でも杉並区高井戸西にある「新川クリーニング商会」のことであろう。
 さて、このエッセイで最も注目させられたのは、初ドライブのとき、乗っていたホンダN360が蛇行しはじめたという話である。当時、こういう噂は、たしかにあった。アメリカで裁判になっているということも報道で知っていた。しかし、日本では、このことは、あまり深刻な問題にはなっていなかった。また、自分のまわりでは、ホンダN360が蛇行したという例は全くなかった。松任谷氏のエッセイを読み、今になって、「蛇行」の噂は本当だったのだ、と思い直した。
 松任谷氏は、渋谷区道玄坂のレンタカー店で、ホンダN360を借り、自宅まで運転して、そこで家族三人を乗せたという。初ドライブで、定員いっぱいまで乗せるという勇気に驚く。一行は、高尾山に向かうべく、バス通り(のちの環状八号線)から甲州街道に入るが、そのとき、アクシデントが起きる。以下、引用。

 あてもなく甲州街道のほうに舵を切り、そしてちょっと深めにアクセルを踏んだ。エンジン音が高まり、教習所ではあまり体験したことのない加速が始まった。ところが次の瞬間クルマは蛇行。タイヤの空気圧がちゃんとしてなかったのか、それとも僕がハンドルの遊びに慣れていなかったのか。脂汗が一気に吹き出した。両親は僕がふざけてやっているものだと思い、そんな真似やめなさいよ、と言った。ここで、これはわざとではないんだ、と正直に言ったらこのドライブ自体すべてキャンセルになると思ったから、わかった、とだけ言いドライブを続けた。結局、高尾山まで行って帰ってきたが、正直、生きた心地はしなかった。

 松任谷氏が教習所で運転したマツダ・キャロルは、リアエンジン・リアドライブ、一方、ホンダN360は、フロントエンジン・フロントドライブで、運転特性が異なる。しかも、ホンダN360は、ハンドリングに「欠陥」があったとされる。初ドライブの高校生が、N360に定員四人を乗せ、アクセルを踏みこんだ。よく、事故にならなかったものだ。【N360の話は続きますが、都合により、明日はブログをお休みします】

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