私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

2022-05-17 | 7追憶する
まだ梅雨には早いが、菜種梅雨という言葉を思い出す天候だ。
置き傘を忘れぬように、不安がよぎる時にはバッグの中にコンパクトな折り畳み傘を入れて出かける。
玄関を出るや、しっかり雨の降りしきる時には、長尺の傘をつかんで出かける。

服は目立たない凡庸なものばかり選んでいるが、傘は目立つデザインの物が好きで、デパートの1階で調達することが多かった。
しかし、とかくお気に入りの傘から失う。
どこかに置き忘れる。
傘立てに置いた筈なのに、誰かに持ち去られてしまったり…奇抜なデザインで間違われる筈は無いのだが。

結局、1~2年おきに傘を新調する事になっていた。

ところがかれこれ30年間、失われる事無くわが家の傘立てにずっと存在する傘がある。
出先で雨に降られ、今はもうなくなってしまった商店街で、500円で購入した花柄の傘。
500円でなければ絶対に買わないデザインのジャンプ傘だ。
ところが、色褪せする事もなく壊れる事もない。

「お気に入りの傘に限って失くす。全然惜しくない傘に限って何時までも手元にある」と嘆いてみせた。

ちょうど、雑に便利使いされるバイトを辞めることにしたころの事だった。
そばで聞いていた人は無言である。
何かしら深読みされてしまったかもしれない。

さりながら、500円で買った好みではない傘であっても、30年を超えてそこにあり続けるそれは、そこにあるものとして私の暮らしの中で存在感を示している。
人の生活とはそうしたものであるのかもしれない。

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