私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

すねる愛車⑥

2010-04-16 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
車椅子他をしっかり積みこめて、ゆとりのある車というのが、愛車の一番の売りだった。

凛々しい顔と、媚びない感じも好印象だったのだが、父が逝って、車椅子を積み込む必要も長距離移動も必要がなくなったあたりから、どうも具合が悪くなった。

丁寧に整備をしてもらい、症状はなくなったのだが、やはり渋滞道路と馬力の必要な山道しか走らない。

走るのが好きな車に、酷な環境が依然として続くわけだ。

何だか可哀そうになって、車を乗り換えることにした。

自家用車は、最低でも7年乗り続ける私にとって、イレギュラーな短い付き合い。
愛車の持つ癖も含めて、非常に愛しく感じていた車なので、何かしら切ない程の心残りを覚える。

しかし、決断をしたのだった。
愛車にとっても自分にとっても無理のない状態をつくる為に。

今日、新しい車の納車を受けるべく、愛車を車庫から出してみると、バックドアが開かない。
自慢の収納力。
少量ではない私物が、ラゲッジスペースにはたんとある。

3月にバックドアが開かなかった時には、ラックの端が引っ掛かっていたのだが、リアシートを倒して、必要な物品を引き出してもドアが開く気配はない。

この期に及んで、愛車はすねているとしか思えない。
自慢のラゲッジスペースを頑なに守っている。
そこにほれ込んで付き合いを始めたのだが。

そして、結局バックドアが開かないまま、新たなディーラーさんに引き渡したのだった。
その症状、厄介なものだったら、もう一度引き取って、治療してから送り出してあげるよ。

そんなことを考えながら担当営業マンと話していると、そつない営業マンの口から
「環境が変わって、すねたのでしょうね」
などという言葉が飛び出した。

そう、やっぱりすねたんだよね。
そして、現状をどうしようもなく、別れを迎えることになっちゃったんだ。
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