「全然勉強していなかったけど、受かったんだよね」
などという言い方で、入学、入社、各種資格試験の結果について語る人がいる。
センスがある。
あるいは自分は受験技術に秀でている。
もしくは、要領がいい…といったことを尊び、それが自分に備わっていることを暗に誇示しているのかもしれない。
しかし、それは愚かなことなのだとこの歳になって漸く認識している。
私も「一生懸命やった訳でもないのだが、なぜか受かってしまった」などと気のない合格を語り、仕事に就いたり、入学の権利を得たり、資格や免許を受けたことはある。
だが、それは所詮そこがゴールであって、それ以上の何の向上にもつながっていない。
尊ぶべきは、情熱をもって努力を積み重ねた上に、自分の人生を成立させ続けていることだ。
その場合、合格はスタートラインであり、その分野での成長と進歩が限りなく継続される。
努力の積み重ねの結果としての合格こそを誇るべきであり、如何に情熱を傾けて努力し続けることができるかどうかが人生の価値なのではないか。
なんてことを考えたりしているのは、建築家、安藤忠雄というひとの自叙伝をいたく感動しつつ読んでいるためである。
決してチャンスに恵まれていた訳ではない安藤忠雄氏が、エネルギッシュに並々ならぬ努力を重ねて、日本を代表する建築家になられたという事実に感銘をうけている。
と同時に、薄っぺらな自分を歯がゆく恥ずかしく感じるのである。
などという言い方で、入学、入社、各種資格試験の結果について語る人がいる。
センスがある。
あるいは自分は受験技術に秀でている。
もしくは、要領がいい…といったことを尊び、それが自分に備わっていることを暗に誇示しているのかもしれない。
しかし、それは愚かなことなのだとこの歳になって漸く認識している。
私も「一生懸命やった訳でもないのだが、なぜか受かってしまった」などと気のない合格を語り、仕事に就いたり、入学の権利を得たり、資格や免許を受けたことはある。
だが、それは所詮そこがゴールであって、それ以上の何の向上にもつながっていない。
尊ぶべきは、情熱をもって努力を積み重ねた上に、自分の人生を成立させ続けていることだ。
その場合、合格はスタートラインであり、その分野での成長と進歩が限りなく継続される。
努力の積み重ねの結果としての合格こそを誇るべきであり、如何に情熱を傾けて努力し続けることができるかどうかが人生の価値なのではないか。
なんてことを考えたりしているのは、建築家、安藤忠雄というひとの自叙伝をいたく感動しつつ読んでいるためである。
決してチャンスに恵まれていた訳ではない安藤忠雄氏が、エネルギッシュに並々ならぬ努力を重ねて、日本を代表する建築家になられたという事実に感銘をうけている。
と同時に、薄っぺらな自分を歯がゆく恥ずかしく感じるのである。