今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

臨滹山 大仙寺(岐阜県加茂郡八百津町八百津4345-1)

2023年04月08日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年10月2日

臨滹山(りんこざん) 大仙寺
臨済宗妙心寺派の寺院
10年前近くを走行中「宮本武蔵」の文字が見えたので立ち寄った寺院。今回が2度目である



寛正元年(1461年)如幻尼によりに臨済宗南禅寺派の「不二庵」として開かれる
美濃守護代の斎藤氏一族や、地元の豪士である古田彦右衛門を檀越として栄えた
東陽英朝禅師が住職を勤める際、木曽川を中国の滹沱河にたとえたて、山号寺号を臨滹山大仙寺と改め開山した
第八世 愚堂東寔禅師に至って、寛永七年(1630年)より七年間を有し、寺を現在地に移転し、堂宇を新築した



愚堂東寔が住職の時代に沢庵宗彭の勧めにより宮本武蔵が訪れたとされ、その際に座禅をしたという石が残っている



惣門
延宝7年(1679年)建立



椿の参道
両脇に何種類もの椿が並んでいる。昔は「椿寺」と呼ばれていた



「大仙寺」と刻まれている



立派な石垣に囲まれている
創建以来兵火災害など一度も遭うことなく多数の什宝や古文書が今日に伝えられている



この参道の奥に目的の場所がある



宮本武蔵坐禅石



今から400年前、剣の修行中であった宮本武蔵は京都大徳寺の沢庵和尚について禅の修行も行っていた
沢庵和尚は「禅の事は愚堂に聞け」と言い残し亡くなった



武蔵は当山の愚堂国師の元を訪れたが、愚堂国師に入門を断られた
三日三晩坐禅を組み門前で待ち続けたため、その願心を認められ入門を許されたと言われている



武蔵が坐禅を組んだと言われる「宮本武蔵坐禅石」
武蔵ファンとしては貴重な場所の一つだ



山門
宝暦2年(1752年)建立



「愚堂国師古道場」とある
永保寺、正眼寺とともに美濃三道場と呼ばれた






小安地蔵尊



大庫裡旧鬼瓦



宝蔵
元禄3年(1690年)建立



庫裡
宝暦6年(1756年)建立
庫裏とも書き、庫院ともいう。寺内の食事を準備するところ
禅宗の寺院では、これを「大庫院」と「小庫院」とに分け
前者では仏前に供える食事や住持、住僧などの食事を整え、後者では客僧などの食事を調達する



現在では、住持(住職)が家族で住む場所をとくに庫裡という



「旧懸魚」
妻飾りの懸魚は力強い桃山時代の手法を華やかに残している



方丈
寛永13年(1636年)建立






扁額には山号の「臨滹山 」
東陽英朝禅師は山号を考案する際、八百津に流れる木曽川を、中国の「滹沱河(ごだがわ)」になぞらえた
禅師は“滹沱河を臨む”という意味をこめ、山号を「臨滹山(りんこさん)」とした



「臨滹山・大仙寺」と改名したのは、文亀元年(1501年)
本尊:釈迦牟尼仏






地蔵堂
慶安2年(1649年)建立






鐘堂
大正2年(1913年)建立









庫裡の大きな瓦屋根の棟には煙出櫓の小屋根が設けられている



撮影 令和4年10月2日

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