今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

都久夫須麻神社<竹生島神社>(滋賀県長浜市早崎町)

2021年07月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月28日

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)
琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する
「竹生島神社(ちくぶしま じんじゃ)」とも呼ばれている



永禄元年の大火後、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として竹生島権現を復興
現・宝厳寺の唐門・観音堂・渡り廊下、その渡り廊下と繋がっている現・都久夫須麻神社本殿である本堂が復興された



本殿(国宝)
宝厳寺の唐門・観音堂・渡り廊下は豊臣秀吉の霊廟である豊国廟から移築し
現 本殿は伏見城の「日暮御殿」を移築したものである



明治時代の廃仏毀釈運動により、宝厳寺を廃寺にして、社名を「都久夫須麻神社」に改めるよう命じられた
しかし、日本全国の崇敬者の強い要望によって廃寺を免れ、寺院と神社が並存することとなった
明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、これまでの本堂が都久夫須麻神社の本殿となった



<祭神は4柱>
 市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)宗像三女神のうちの一柱
 宇賀福神(ウガフクジン)
 浅井比売命(アザイヒメノミコト)承平縁起はこの女神のみを祭神としている
 龍神(リュウジン)八大龍王の一尊である黒龍



宝厳寺観音堂からの参拝だと直接本殿前に出るため違和感があるが……
宝厳寺本堂であったとの歴史を知ると納得することができる



船着場から階段を上がり、「竹生島神社」鳥居から直接神社に向かうとこの場所に出る



末社 江島神社・厳島神社
本殿に向かって右に鎮座



祭神は、江島大神(江島神社祭神)と厳島大神(厳島神社祭神)



二柱とも竹生島大神(市杵島比売命)と同神



末社 天忍穂耳神社・大己貴神社
本殿に向かって左に鎮座



祭神は天忍穂耳命(あめのおしおみのみこと)と大己貴神(おおなむちのかみ)



摂社 白巳社
弁才天の神使としての白蛇神である白巳大神を祀る祠
柱に「金寶冨貴」



阿吽の龍



白巳大神の像(阿形)



白巳大神の像(吽形)



弁財天社
招福弁財天(招福・招財の弁才天)を祀る祠
立て札には「日本五弁天」として「安芸国 厳島大神、大和国 天川大神、近江国 竹生島大神、相模国 江島大神、陸前国 黄金山大神 金華山」の名が掲げられている



一年に一度、6月10日に竹生島神社において三大弁天を祀る「三社弁才天祭」が行われる
宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)江島神社 (神奈川県 江の島)大願寺・厳島神社 (広島県 厳島)



八大竜王拝所(通称「竜神拝所」)



この拝所にはかわらけ投げの風習が残る
湖にいる八大竜王に願いを届けて成就してもらおうというもの



土器(かわらけ)は、二枚一組(厄除文字入)になっている
一枚にお名前、もう一枚にはお願い事を書いて、波打ち際の鳥居(宮崎鳥居)をめがけて投げる



投げた「かわらけ」が鳥居をくぐれば、願い事が成就するともいわれている



長浜港行きの出航時間が近いためか、周囲に参拝者の姿が見えなくなった



竹生島に渡る前には寺社以外に何があるのかと思っていたが、何もなかった(笑)



重要文化財の渡廊(船廊下)の横を通り船着場へ向かう



床下に長い柱を立てて支える懸造



黒龍堂
祭神は黒龍大神と黒龍姫大神の二柱






鳥居
扁額には「竹生島神社」
右に進むと都久夫須麻神社<竹生島神社>
真っ直ぐ進むと宝厳寺へ



この島には、寺社関係者と土産物店関係者以外は誰も居ない
手前の三艘は彼らの所有船であり「通い」である



船着き場から国宝の唐門を眺める



「琵琶湖就航の歌」歌碑
琵琶湖周航の歌は1~6番まであるが、4番の歌詞が刻まれている



重文の五重塔があると思って竹生島を訪れたのだが、それが石造五重塔で……
重文だと思いこみ写真で見た塔は実は三重塔で、2000年(平成12年)5月に再建されたもの(汗)



それでも天気にも恵まれ竹生島の歴史について、少し知ることができ満足している



撮影 令和3年5月28日

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