訪問日 令和4年10月14日
魚沼神社
創建は崇神天皇の時代と伝えられている
「上弥彦大明神」とよばれ、上杉家をはじめ、武家の崇敬をあつめた神社だった
上杉謙信が関東へ出陣する際は、小千谷で信濃川を渡っていた
その小千谷を通るたびに、この魚沼神社に参りに来ていた
社号標
鳥居
神門
随身像
狛犬
拝殿
扁額には「彌彦大明神」
戦国時代には、彌彦神社と祭神が同じことから「上弥彦神社」と呼ばれた
上杉謙信の時代の史料にも「上弥彦大明神」とあり、拝殿にも「彌彦大明神」の額が掲げられている
越後国一宮である彌彦神社に対し、当神社を「二の宮」と呼び、この地域の人々の信仰の中心となった
本殿
祭神:天香語山命(あめのかぐやまのみこと)
神楽殿
阿弥陀堂(重要文化財)
元神宮司の別当「池源寺(ぢげんじ)」の阿弥陀堂で「阿弥陀如来と大日如来」が安置されている
昭和29年(1954年)の解体修理の際、永禄六年乙丑(1563年)の文字が確認された
干支に合わせると永禄8年(1565年)となる
明治初年の神仏分離の際、神輿舎(しんよしゃ)と改称
昭和29年(1954年)の大規模な解体修理を機会に阿弥陀堂の名称に戻った
方三間、一重宝形造茅葺きで、豪雪地帯特有の軒先が極めて短い造り
撮影 令和4年10月14日
魚沼神社
創建は崇神天皇の時代と伝えられている
「上弥彦大明神」とよばれ、上杉家をはじめ、武家の崇敬をあつめた神社だった
上杉謙信が関東へ出陣する際は、小千谷で信濃川を渡っていた
その小千谷を通るたびに、この魚沼神社に参りに来ていた
社号標
鳥居
神門
随身像
狛犬
拝殿
扁額には「彌彦大明神」
戦国時代には、彌彦神社と祭神が同じことから「上弥彦神社」と呼ばれた
上杉謙信の時代の史料にも「上弥彦大明神」とあり、拝殿にも「彌彦大明神」の額が掲げられている
越後国一宮である彌彦神社に対し、当神社を「二の宮」と呼び、この地域の人々の信仰の中心となった
本殿
祭神:天香語山命(あめのかぐやまのみこと)
神楽殿
阿弥陀堂(重要文化財)
元神宮司の別当「池源寺(ぢげんじ)」の阿弥陀堂で「阿弥陀如来と大日如来」が安置されている
昭和29年(1954年)の解体修理の際、永禄六年乙丑(1563年)の文字が確認された
干支に合わせると永禄8年(1565年)となる
明治初年の神仏分離の際、神輿舎(しんよしゃ)と改称
昭和29年(1954年)の大規模な解体修理を機会に阿弥陀堂の名称に戻った
方三間、一重宝形造茅葺きで、豪雪地帯特有の軒先が極めて短い造り
撮影 令和4年10月14日
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