今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

瑞塔山 雲樹寺(島根県安来市清井町281)

2024年08月01日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月22日
瑞塔山 雲樹寺
この日は、予定していた松江城と神魂神社に加え、八重垣神社と巡り道の駅に向かおうとしていた
走行途中に「雲樹寺」の案内板が目に入り立ち寄ることにした

手水舎
この寺は今回で4回目になる
駐車場から入ると手水舎に出る



手水舎の蛇口として、龍の口や竜頭が使われていることを多く見かける
龍が水を司る神様として崇められていたことに由来する



仏殿の方を見るといつもと何かが違っている



仏殿に向かう途中にある石仏
「第二七番 中国観音 雲樹寺」とある



貼られている紙には「南無地蔵菩薩」
斜めになっている台座には「おかげさま」と彫られている



こちらの台座には「南無観世音菩薩」と
観音様に手を上げて迎えられているような感じがいい



仏殿
遠くから仏殿を見て違和感があったのは、これまで固く閉じられていた扉が開いていることだった



「辰年限定 仏殿開放」とは年男の私としてはとても嬉しい



本尊:拈華微笑仏(ねんげみしょうぶつ)
拈華微笑とは、釈迦が説法の際に花をひねって弟子に示したところ、弟子の迦葉(かしょう)だけがその意を悟って微笑で応えたという故事に由来する仏語
言葉を使わずとも真意を悟るさまをいい、禅宗では、以心伝心で法を体得する妙を示すときの語としても用いられる



歴史を少し
元亨2年(1322年)、弧峰覚明(こほうかくみょう)禅師が開山
臨済宗妙心寺派の古刹で、後醍醐・後村上両朝の勅願寺
元弘の役で伯耆に行幸した後醍醐天皇は、船上山に師を招いて戒を受け、国済国師の号と「天長雲樹興聖禅寺」の頼願を下賜した
文政3年(1820年)不慮の天災で堂塔のほとんどが焼失したが、大門、山門、薬師堂、庭園は難を逃れた
江戸末期より仏殿、方丈、開山堂を再建し、往時の姿を取り戻している



天井画
仏殿の天井を見上げると見事な龍の天井画
「第三十七世 晋山記念 岩崎八郎筆」と読める



「晋山記念」とは、新たに任命された住職が正式に就任する儀式である晋山式に関連する記念品のこと
競馬の「シンザン記念」は熟知しているのだが……









広瀬宇波の和鐘(重要美術品)






薬師堂



山門
雲樹寺の正式な入り口
門扉が無いのは広く人々を受け入れるため



重要文化財の「門」があるということで訪れたのが最初で、この山門がそうだと思っていた
自宅に戻り調べているうちに間違いだということに気づいた



四脚門(重要文化財)
二度目に訪れた時に重要文化財の四脚門を探し、離れた場所で見つけることができた






開創当時の700年前からの門構えと知るとその価値が理解できる






山門に続いていく参道も市の文化財で「浮き道」と言われ、両側に水路を作り水に浮いた道のように見える



撮影 令和6年5月22日

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