訪問日 令和4年5月31日
海潮山 磐台寺(ばんだいじ)<阿伏兎観音>
臨済宗妙心寺派の寺院
瀬戸内海に面する阿伏兎(あぶと)岬にあるので「阿伏兎観音」とも呼ばれる
正暦3年(992年) 花山法皇により石造十一面観音像を本尊に祀り、付近の航海の安全を祈願するために創建
山門
拝観料の100円は驚く
駐車場から山門への道は5分ほどの距離
景色を楽しみながら歩くと山門に着く
境内図は写真を整理する時に大変役立つ
客殿(広島県指定文化財)
手水鉢
観音堂(重要文化財)
ここから石段を上がる
更に上がると観音堂が見えてくる
観音堂の回廊は土足厳禁になっている
本尊:十一面観音
永禄13年(1570年) 毛利輝元が堂を再建
福山藩四代藩主 水野勝種により、石垣や鐘楼、回廊を増築し現在に近い姿となる
絵馬
観音堂の中には,壁一面に奉納された「おっぱい絵馬」が飾られている
昔から,航海の安全,子授け・安産の祈願所としても知られている
観音堂からの眺望
観音堂は高所に加え低い欄干でスリル満点、とても眺めを楽しむような余裕などない
壁に張り付くようにして撮っている(汗)
先に来ていた若い男性2人は京都からこの観音堂を観るためにきたという
Instagram用の写真を熱心に撮っていた
下に下りる
梵鐘
六地蔵
下から観音堂を観る
右側が階段で左側が観音堂
徐々にアングルを下げて……
まだこの下に海水が流れてきている場所があるが、浮遊物が流れ込み景観が損なわれるのでカットした
岬の突端の断崖に岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、歌川広重の浮世絵「六十余州名所図会」になっている
足摺さん
白鳳稲荷
再び客殿横を歩き駐車場に戻る
100円の拝観料でこれだけ楽しめる場所はない(最高)
いろは丸
この後、選んだ場所が分からず、釣りをしていた男性に声をかけた
しばらく話しをしていると変わった形の船が通り過ぎて行ったので尋ねると…
江戸時代末期(1867年)、坂本龍馬が「いろは丸」という船で海運業務を行っていた際、瀬戸内海で紀州藩の軍艦に衝突された
この事故でいろは丸は積み荷とともに沈没。事故現場から一番近くて大きい港が鞆の浦だった
その「いろは丸」を再現した船だという
撮影日 令和4年5月31日
海潮山 磐台寺(ばんだいじ)<阿伏兎観音>
臨済宗妙心寺派の寺院
瀬戸内海に面する阿伏兎(あぶと)岬にあるので「阿伏兎観音」とも呼ばれる
正暦3年(992年) 花山法皇により石造十一面観音像を本尊に祀り、付近の航海の安全を祈願するために創建
山門
拝観料の100円は驚く
駐車場から山門への道は5分ほどの距離
景色を楽しみながら歩くと山門に着く
境内図は写真を整理する時に大変役立つ
客殿(広島県指定文化財)
手水鉢
観音堂(重要文化財)
ここから石段を上がる
更に上がると観音堂が見えてくる
観音堂の回廊は土足厳禁になっている
本尊:十一面観音
永禄13年(1570年) 毛利輝元が堂を再建
福山藩四代藩主 水野勝種により、石垣や鐘楼、回廊を増築し現在に近い姿となる
絵馬
観音堂の中には,壁一面に奉納された「おっぱい絵馬」が飾られている
昔から,航海の安全,子授け・安産の祈願所としても知られている
観音堂からの眺望
観音堂は高所に加え低い欄干でスリル満点、とても眺めを楽しむような余裕などない
壁に張り付くようにして撮っている(汗)
先に来ていた若い男性2人は京都からこの観音堂を観るためにきたという
Instagram用の写真を熱心に撮っていた
下に下りる
梵鐘
六地蔵
下から観音堂を観る
右側が階段で左側が観音堂
徐々にアングルを下げて……
まだこの下に海水が流れてきている場所があるが、浮遊物が流れ込み景観が損なわれるのでカットした
岬の突端の断崖に岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、歌川広重の浮世絵「六十余州名所図会」になっている
足摺さん
白鳳稲荷
再び客殿横を歩き駐車場に戻る
100円の拝観料でこれだけ楽しめる場所はない(最高)
いろは丸
この後、選んだ場所が分からず、釣りをしていた男性に声をかけた
しばらく話しをしていると変わった形の船が通り過ぎて行ったので尋ねると…
江戸時代末期(1867年)、坂本龍馬が「いろは丸」という船で海運業務を行っていた際、瀬戸内海で紀州藩の軍艦に衝突された
この事故でいろは丸は積み荷とともに沈没。事故現場から一番近くて大きい港が鞆の浦だった
その「いろは丸」を再現した船だという
撮影日 令和4年5月31日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます