今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

与楽山 大悲心院 観音寺(栃木県矢板市長井)

2020年03月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年11月7日
温泉で身体を温め熟睡。道の駅「やいた」で朝を迎える。今日も天気に恵まれた
地元北海道では雪が降り積もっているというニュースが流れた

与楽山 大悲心院 観音寺(通称:寺山観音寺)
途中狭い道もあったが観音堂近くにある大きな駐車場にたどり着いた
このような時はスタート地点になる山門へ移動することにしている



初めて訪れる寺で、そのきっかけとなったのは重文の像があることを知ったからだ



この先、わくわくするような参道が続く



「象頭山」と彫られた石碑



「國寶記念」と刻まれている。
現在は重文であるが、本尊の「千手観世音菩薩(秘仏)」が国宝だった頃に建てたと思われる



石橋



アーチ状に組まれた石橋の下には満願ケ池



周囲の風景と見事に同化している






参道横に小さなお堂がある



はっきりはしないが、形から「不動明王像」か



遠くに「楼門」が見える、この参道の景色が素晴らしい






楼門
天和4年(1618年)に建てられたもので、1997年に「やいた建物十選」に選ばれた



山号院号の「与楽山 大悲心院」



観音寺のイチョウ(栃木県指定天然記念物)
この木の下に石地蔵が祀られていた
木が大きくなるに従って石地蔵が木の中へ抱え込まれ、木の中に入ってしまったことから「子持ちイチョウ」と呼ばれるようになった



樹齢約350年(樹高28.5m、幹周4.8m)。
徳一僧都手植えのものといわれ、この地方第一の古木



寺山観音寺の周辺には、第一に霊湯、第二に牛石、第三に白土、第四に赤根土、第五に青ノリ、第六に一度も盗賊が侵入しない、第七にバン字池の水が年中絶えない七不思議があると伝えている
第二「牛石」
大同元年(806年)、法楽寺が現在の寺山観音寺の場所に移転する際、解体した観音堂の材料を運んでいた牛が、現在の寺山観音寺の場所で止まり全く動かなかった
それを観音様の意向と考えた人々が、そこに観音堂を移築して現在の寺山観音寺になったという伝承がある



観音堂
高原山の頂上近くに、神亀元年(724年)聖武天皇の勅願により行基が建てた法楽寺が始まりであるという
その後法楽寺は803年(延暦22年)雷火により焼失するが、この際、観音堂は焼け残り本尊は安泰であったという



大同元年(806年)平城天皇の勅願により、徳一が本尊を現在の地に移し、七堂伽藍を建立し現在の寺山観音寺に至るという
楼門と同じく、天和4年(1618年)に建てられたもので、「やいた建物十選」に選ばれている






本尊は「千手観世音菩薩(重要文化財)」
秘仏であり、60年に1回、甲子年の旧暦9月10日より7日間のみ開帳される



奉納額の「國寶」には大正14年5月の記載


















「賓頭盧尊者像」






「洗心童子」






境内には魅力的な石仏が数多く安置されている









「十六羅漢」






「弘法大師像」






「六地蔵尊」
この猫は楼門周辺から私の行く先々に先回りして待っている。まるで、八咫烏のような存在だ(笑)
途中、いなくなったと思ったら駐車場の私の車の下で寝ていた



庫裏周辺



この「千手観音像」はとてもいい。






銅造大日如来坐像(栃木県指定文化財)



像高115cm・天明元年(1781年)作・丸山善太郎易親









虚空蔵堂?



額には「福一満虚空蔵菩薩」



「百観音御砂踏み霊場」






周辺の石仏群から















稲荷神社









撮影 令和元年11月7日
コメント
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