前日、東北で発生した震度6強の地震で影響がないか上り列車で
目視確認しながらの運転の影響で桑名川駅を30分遅れで発車。
西大滝付近に来ましたが、雪の量がグッと増えました。
西大滝から信濃白鳥までは標高を上げるのですがまたまた雪が増えます。
雪崩が起きないように除雪するのも大変な作業でしょう・・・。
これでも随分と雪は融けたのですが、家の1階は埋まっています。
キツネ?が歩いたのか動物の足跡が残っていました。
撮影日 2021.02.14 07:50 西大滝~信濃白鳥~平滝
目視確認しながらの運転の影響で桑名川駅を30分遅れで発車。
西大滝付近に来ましたが、雪の量がグッと増えました。
西大滝から信濃白鳥までは標高を上げるのですがまたまた雪が増えます。
雪崩が起きないように除雪するのも大変な作業でしょう・・・。
これでも随分と雪は融けたのですが、家の1階は埋まっています。
キツネ?が歩いたのか動物の足跡が残っていました。
撮影日 2021.02.14 07:50 西大滝~信濃白鳥~平滝
いつも貴ブログを楽しく拝見しております。以前も書きましたが、1970年代から1980年代に野沢温泉スキー場へ通っていましたので、元の戸狩駅迄大阪から夜行列車でした。当初は、スキーバスが無い時代でしたので、金曜夜大阪発のDC急行ちくまは満席で、早くから並ばないと座れませんでした。その内全車座席指定に代わり、京都からの乗車も可能になりました。長野駅で40分程度停車して、そのままローカルになり朝の通勤通学列車になっていました。当時は積雪も多く、戸狩~十日町間は冬期運休が1か月程度有りました。3月になると早朝飯山駅で、DD16-300番台のラッセル車が上りで戻ってくるまでの間、15分程度長く停車していました。
冬季の全線走破は、冬に583系きたぐにを撮りに長岡に泊まり、翌日、越後川口からキハ110系に乗車しています。それ以前もキハ20系時代に、上越のスキー場から移動したことが一度ありました。懐かしい想い出です。長くなりましたが、貴ブログのシリーズを楽しみにしております。
1961年10月にキハ57形で急行になった「ちくま」でしたね。
ゴーサントウから数年後に165系と20系寝台+12系の「ちくま」に変りました。
懐かしい昭和の時代です。