練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『アメリ』

2006-02-23 | 映画・ドラマ
今ごろ誰も話にのってきてはくれないかもしれないケド・・・
『アメリ』観ました。

男の子は大人になりたくなくてネバーランドに行っちゃうとしたら、
女の子はいつまでも現実と正対したくなくてアメリの世界に浸ってしまうんだろうなぁ。

これは演技と呼べるかどうか分からないけれど(まともに演技しているな、と思ったのは子供の頃の宝物箱が思いもよらぬところで再び手に入ったあのおじさんだけじゃないでしょうか?)、でも紛れもなくファンタジー映画でした。

監督がインタビューで確か「今まで考えて暖めていたアイディアを全部この作品で使った」と言っていたように、エピソード、映像、CGを使った効果など、観ていて「あ~、素敵!」とか「懐かしい」とか思える、それから思わず笑えることがいっぱいつまったまさに宝物のようなお話。

そこにきてあのアメリちゃん。子どもの頃の家庭環境のせいか、現実を直視することを避けて避けて生きてきた、空想にひたるのが大好きな女の子。
でも、妊娠中絶はしたことがある(お父さんへの告白によると)とは、なんともブッ飛んだ女の子だな、(というか、フランスという国のお国柄?)と思ってしまった。
一目ぼれをしたカレにアルバムを返すのにわざわざ手のこんだゲームみたいなことをしかけたりして、すごく楽しいし、可愛い。
結婚記念日の贈り物を渡すのに、宝捜しのゲームのたねを家中にしかけてお父さん、お母さんを喜ばせた、っていう絵本を思い出した。

普通そんな遊び心、っていうかかなりマメさを要求されるサプライズみたいなものは男の子が女の子を喜ばせるために仕組むものなんだろうけど(それくらいマメな男の子じゃないと今時まともな女の子は誰も振り向いてくれない、現実には・・・)それを女の子の方からやってしまう、っていうのがキュートなんだ。

でも、それがカレと劇的に結ばれるための小細工でなかったところがアメリのアメリたるところだったということを、あまりの映像の楽しさのあまり忘れるところだった。
カフェのお姉さんがカレにアメリの正体を明かしてしまったとき、どうしてアメリがあんなに悲しんでいるのか、現実世界にいる私はとっさに分からなかった。
お姉さんとカレがふたりで会っていることに勘違いしてヤキモチでも妬いているのかな、とか見当違いのことを考えてしまったけど、そうじゃなかった。
それまで離れたところから見ているだけで幸せだったカレの姿がいきなり現実のものとして自分の目の前、それも手の届くほど近くに来てしまったことで怖くなっちゃったんだなぁ。
ホントにガラスの心臓。

ラストの二人でバイクに乗っているシーンには思わずホロッときてしまった。
アメリが現実を克服した、っていうことと、恋することって素敵なんだな、と改めてジーンときてしまったので。

ところで、子どものころのテレビアンテナといい、大人になってからの八百屋のオヤジに対する仕打ちといい、アメリのいたずらのセンスそしてその執念深さ、執拗さには笑えました。アメリを的に回すと怖いのだ・・・。