練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『オーデュボンの祈り』 伊坂幸太郎

2006-02-25 | 読書
伊坂幸太郎の本を読んでいつも思うのは、この人はいつも神の視点から物語を書いているのでは、ということだ。
連載小説、連続ドラマの脚本などでは往々に、作家が書いている段階で登場人物たちが当初の予想と違うキャラクターを持ち始め、物語が別の方向に変化し始め、それを作者自身もこの先どうなってゆくのかと楽しみながら話が作り上げられてゆくことがある、と聞いたことがある。
伊坂作品はそういったファジーな雰囲気が感じられないのだ。
作品の最初の一行を書き始めたときにはすでに結末までのしっかりしたシナリオが作家自身の頭の中にしっかりとインプットされていて、あとはパズルを組み立ててゆくように、ジオラマのなかに配置された人形たちを作者が高いところから見下ろしながら最初はここ、次はここ、と動かしてゆくような緻密さ完璧さが感じられる。

この『オーデュボンの祈り』は伊坂氏の処女作であるらしいが、その印象がすでにこの作品からも感じられる。
また、彼自身が作中で「名探偵」というものについて定義づけるような部分があったが、それはまさに私が伊坂作品に抱いた印象と同じようなものだったので面白かった。

ストーリーは「萩島」という江戸時代から外界とは全く交流を絶っている、鎖国状態にあるような架空の島が舞台。そこで「島の外」から連れてこられた伊藤が目にするのはしゃべるカカシだったり妻を殺されて気がふれて反対のことしか話さなくなった元画家だったり島中の人間に殺人を公認されていて悪い奴を射殺してくれる美形の男だったりと相変わらず奇想天外だ。
そして「この島には大事な何かが足りない」という言い伝え。それが「外の世界」からもたらされるラスト。
摩訶不思議な物語だった。

この「萩島」、全く旧態依然としてチョンマゲを結っているような島ではなく、たまに舟で外界まで行って来る轟さんによって若干は現代のものが伝えられているという設定なのでそこがまた中途半端な感じで可笑しいのだが、なんだかアフリカ奥地の原住民の少女が口紅を知らないのと同じような無垢な不思議さを感じさせる。

ちょっと印象に残ったのは「夜景」について伊藤と日比野が話すところだ。
私たちは夜景というと普通夜の闇の中にビルのイルミネーションや家々の明かりが星のように光っているのを思い浮かべ、それを楽しむものだ。
「萩島」の日比野は伊藤がそう話すのを聞いてうっとりとするようにこう言った。
「それも良さそうだな」と。
ここでの夜景とは?と伊藤に聞かれて、恥ずかしそうに日比野はこう言う。
「夜だ。夜を楽しむのが夜景だ。星、夜、真っ黒な海。だって夜の景色と書くだろう」
とてつもなくロマンティックな気持ちになってしまった。

そして「島に足りないもの」が○○だと分かるラスト。
緻密で計算ずくで結構残酷なことも書いてしまう伊坂さんも意外とロマンティストだったりして。