今日は、筑紫哲也逝去1年のシンポジウム「変わらぬもの 筑紫哲也とテレビ報道」というのに行ってきました。
会場は、赤坂サカス内の赤坂ブリッツという非常に若者感漂う空間なのに、平均年齢はかなり高め。そりゃ平日の昼間だものね。若い人ほど聞いて欲しい企画なのに。
さて、司会が鳥越俊太郎と膳場貴子。パネラーが加藤登紀子、香山リカ、姜尚中、草野満代、是枝裕和、立花隆、野中広務と豪華メンバー。
3時間の中で興味深かったことを抜き書きしておきます。長文で申し訳ないです。
野中さんと筑紫さんの繋がりは、京都と沖縄。自身が障害者施設の理事長をやっててそれを取材してくれたと。強面のイメージとは裏腹に弱者に対しての視点が両者一致してたのだろうな。自民党とジャーナリストと立場違えど。
立花さんは、ニュースステーションとの違いを「ワイワイガヤガヤ」から生まれてくるものだと指摘。それに対して膳場さんは、スタッフの論議に意識的に口を挟まなかったと。23編集長職を「君臨せども統治せず」だったと。
姜さんは、筑紫さんの「自分は自分を語らない」という言葉を引用して、ジャーナリストは対象に寄り添って耳を傾け語らせ、時代を浮き彫りにするものだと。語りたがる人は多いけど、それを出来る人ってなかなかいない。
それを受けて加藤さんは「政治家になるには優しすぎた」。都知事選で担がれ掛けてずいぶん悩んだらしい。立花さん曰く彼は「石原慎太郎の日本になるのはイヤ」だったと言うことらしい。週刊朝日増刊の『筑紫哲也』には、担ぎ出そうとした菅さんが「世代責任」という言葉で迫ったと載っている。世代責任=戦争を知っている世代の責任。それは確かにある。しかし、それは彼一人が負うべきものなのだろうか。「筑紫都知事」を見たかったような、見たくなかったような。結局、奥さんの言葉で断念するのだけど。そうそう、今日も奥さんが会場に見えてたらしい。一言もらえばよかったのに。
後半はテレビ、報道について。
姜さんの謎掛け「メディアと掛けて太宰治と解く。その心は、『斜陽』」。以前は若手にドキュメンタリー番組を作る場を提供する余裕がテレビ局にあったと、是枝監督。「スポンサーは神様です」とサラリと言うTBSアナがいたと驚き、その感覚はテレビを作っている人間に共有されてしまっているのでは、と危機感を覚えたと。うん、そうだよね。スポンサー至上主義が視聴率市場主義に走り、景気が悪くなってそれがさらに悪循環してる感じ。
香山さんは一視聴者として、ニュース23は「答え合わせ」だったと言う。この社会に「正解」は無いのだろうけど、自分の立ち位置を確認する上で大切な番組だったと。その上で、レギュラー出演最終回の多事争論「変わらぬもの」で言っていた「少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと」について、当たり前のことを伝えなきゃいけないぐらい民主主義の危機を感じていたのだろうと。
この辺りから話はテレビ、TBSに対して批判的な言葉が続く。
スタッフをよく知る鳥越さんは「筑紫さんの教え子は皆飛ばされた」と。何を以て飛ばされたというのか分からないけど、デスクをしていた金平さんは今アメリカにいる。新番組のごたごた、訂正・謝罪放送の多さも含め「報道のTBS」はもはや風前の灯火なのかしらん。そういえば、「TBSは死んだ」発言のあと、筑紫さんはむしろ一連のみそぎのあとのことを心配していたらしい。今はフリーの下村さんが書いてた。今がまさにその状況なのかも。姜さんは、テレビ局の社員は高給取りなのに制作会社にはほとんど残らないと指摘して、格差問題は放送業界こそ取り組むべき問題だと言及。
小泉劇場がテレビ報道のターニングポイントだったという認識は皆共通していた。どこのチャンネル回しても同じ映像。その後、06年夏の「23合宿」で筑紫さんが配ったペーパーには「意味ある少数派に向けて」というタイトルがあったという。マスメディアは「マス」に対してではもはや、やっていけないと。何か矛盾を感じるけど、大衆を扇動するメディアであってはならないという、テレビの抱える簡単ではない問題を示したかったのだろう。
終盤に是枝さんが「今の番組は想像力を使わなくても、集中しなくても見られる」と。でもそれは頭を使わずに、見たそのまま反応する(喜怒哀楽も思考も)マヒした視聴者を量産するだけではないか。
ここで時間が来たのだけど、聴衆とのやりとりが無かったのがとても残念。アンケート用紙もなかったし、これがどこかで放送されるのかも分からない。だから、とりあえず自分がメモした言葉を並べてみました。
筑紫さんが亡くなって惜しい気持ちはあるし、生きて政権交代を見てもらって何を言うか聞きたかった。でも、筑紫さんに頼りすぎた部分は無いだろうか。それに「世代責任」は乗り越えられなかった、決着を付けられなかったように感じる。それもこれも全部まるっと引き受けるのが次の世代の人、特にジャーナリストなのではないでしょうか。 以上、タジロンソウでした。
「夕冷えや宿題抱えて帰路に就く」 あれ、これって秋の季語?
会場は、赤坂サカス内の赤坂ブリッツという非常に若者感漂う空間なのに、平均年齢はかなり高め。そりゃ平日の昼間だものね。若い人ほど聞いて欲しい企画なのに。
さて、司会が鳥越俊太郎と膳場貴子。パネラーが加藤登紀子、香山リカ、姜尚中、草野満代、是枝裕和、立花隆、野中広務と豪華メンバー。
3時間の中で興味深かったことを抜き書きしておきます。長文で申し訳ないです。
野中さんと筑紫さんの繋がりは、京都と沖縄。自身が障害者施設の理事長をやっててそれを取材してくれたと。強面のイメージとは裏腹に弱者に対しての視点が両者一致してたのだろうな。自民党とジャーナリストと立場違えど。
立花さんは、ニュースステーションとの違いを「ワイワイガヤガヤ」から生まれてくるものだと指摘。それに対して膳場さんは、スタッフの論議に意識的に口を挟まなかったと。23編集長職を「君臨せども統治せず」だったと。
姜さんは、筑紫さんの「自分は自分を語らない」という言葉を引用して、ジャーナリストは対象に寄り添って耳を傾け語らせ、時代を浮き彫りにするものだと。語りたがる人は多いけど、それを出来る人ってなかなかいない。
それを受けて加藤さんは「政治家になるには優しすぎた」。都知事選で担がれ掛けてずいぶん悩んだらしい。立花さん曰く彼は「石原慎太郎の日本になるのはイヤ」だったと言うことらしい。週刊朝日増刊の『筑紫哲也』には、担ぎ出そうとした菅さんが「世代責任」という言葉で迫ったと載っている。世代責任=戦争を知っている世代の責任。それは確かにある。しかし、それは彼一人が負うべきものなのだろうか。「筑紫都知事」を見たかったような、見たくなかったような。結局、奥さんの言葉で断念するのだけど。そうそう、今日も奥さんが会場に見えてたらしい。一言もらえばよかったのに。
後半はテレビ、報道について。
姜さんの謎掛け「メディアと掛けて太宰治と解く。その心は、『斜陽』」。以前は若手にドキュメンタリー番組を作る場を提供する余裕がテレビ局にあったと、是枝監督。「スポンサーは神様です」とサラリと言うTBSアナがいたと驚き、その感覚はテレビを作っている人間に共有されてしまっているのでは、と危機感を覚えたと。うん、そうだよね。スポンサー至上主義が視聴率市場主義に走り、景気が悪くなってそれがさらに悪循環してる感じ。
香山さんは一視聴者として、ニュース23は「答え合わせ」だったと言う。この社会に「正解」は無いのだろうけど、自分の立ち位置を確認する上で大切な番組だったと。その上で、レギュラー出演最終回の多事争論「変わらぬもの」で言っていた「少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと」について、当たり前のことを伝えなきゃいけないぐらい民主主義の危機を感じていたのだろうと。
この辺りから話はテレビ、TBSに対して批判的な言葉が続く。
スタッフをよく知る鳥越さんは「筑紫さんの教え子は皆飛ばされた」と。何を以て飛ばされたというのか分からないけど、デスクをしていた金平さんは今アメリカにいる。新番組のごたごた、訂正・謝罪放送の多さも含め「報道のTBS」はもはや風前の灯火なのかしらん。そういえば、「TBSは死んだ」発言のあと、筑紫さんはむしろ一連のみそぎのあとのことを心配していたらしい。今はフリーの下村さんが書いてた。今がまさにその状況なのかも。姜さんは、テレビ局の社員は高給取りなのに制作会社にはほとんど残らないと指摘して、格差問題は放送業界こそ取り組むべき問題だと言及。
小泉劇場がテレビ報道のターニングポイントだったという認識は皆共通していた。どこのチャンネル回しても同じ映像。その後、06年夏の「23合宿」で筑紫さんが配ったペーパーには「意味ある少数派に向けて」というタイトルがあったという。マスメディアは「マス」に対してではもはや、やっていけないと。何か矛盾を感じるけど、大衆を扇動するメディアであってはならないという、テレビの抱える簡単ではない問題を示したかったのだろう。
終盤に是枝さんが「今の番組は想像力を使わなくても、集中しなくても見られる」と。でもそれは頭を使わずに、見たそのまま反応する(喜怒哀楽も思考も)マヒした視聴者を量産するだけではないか。
ここで時間が来たのだけど、聴衆とのやりとりが無かったのがとても残念。アンケート用紙もなかったし、これがどこかで放送されるのかも分からない。だから、とりあえず自分がメモした言葉を並べてみました。
筑紫さんが亡くなって惜しい気持ちはあるし、生きて政権交代を見てもらって何を言うか聞きたかった。でも、筑紫さんに頼りすぎた部分は無いだろうか。それに「世代責任」は乗り越えられなかった、決着を付けられなかったように感じる。それもこれも全部まるっと引き受けるのが次の世代の人、特にジャーナリストなのではないでしょうか。 以上、タジロンソウでした。
「夕冷えや宿題抱えて帰路に就く」 あれ、これって秋の季語?