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「句読点はオバサン構文」にチクリ 俵万智さん   断言を逃げる若者言葉だから「゜」を避ける

2024-02-08 21:22:18 | 時評
今月6日、産経ニュースが「文末の句点に恐怖心…若者が感じる『マルハラスメント』」と題し、句読点の使用が与える印象について報じた。若者は「。」で終わる文に
恐怖心を感じるという。俵さんは「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…」とこの件に言及。「この一首をそっと置いておきますね~」と、一首を投稿した。
  ~「優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語」~  「バツ」でなく「マル」で終わるのが日本語だ…と、その優しさを表現した。

* X(旧Twitter)に寄せられたコメントのなかに「さすがです!マルハラ言うてる子は英文の最後に愛を込めて使われるXXX(キスマーク)も怖いのかな?」と。
  私は≪英文の最後に愛を込めて使われるXXX(キスマーク)≫というのが何なのか知らないので、「X]と「〇」の対比に俵さんが込めた意味が理解不能。

  私は英語圏で16年暮らしたが、英語表現で「X」がキスマークを暗示するとは聞いたことが無い。・・これが英語国民のいまふう若者言葉なら、知る由はない。ホント?
   そもそも何故<句読点を打つのがオバサン構文なのか>ここも私には意味不明。たぶん<オジサン>でも同じで<オバサン>に込められた暗喩は<時代遅れ>であろう。

● ここで話は、日本語の書き言葉表現における句読点の役割論になる。日本語の文章(国語と言いたい人はそれで構わないが)における句読点の基本は「文節」だ。
  近代日本語で「文節」とは、文章の中で主語・述語(形容詞・副詞)・助詞・動詞などの語順をわかりやすく伝える為に必要な記号だ。それは意味の誤解を防ぐのと、
  主張したいメッセージを明確に示すうえで必要な役割を果たす。つまりメッセージをハッキリ伝える為に句読点はあり、学術論文は無論、小説でさえ重要だ。
   唯一、句読点を打たなくて良いのは、論理を述べる論述文ではない詩歌の抒情世界だけである。 だが日常会話文は詩歌じゃない!
   それと、話し言葉そのままでもSNSで一旦文字を媒介すれば、日本語の文法規則からは逃げられない事を若者は忘れてはならない。


「゜」で終わるのが恐ろしい、とはメッセージを明確に伝えるのを恐れていることであり「~とか」「~みたいな」「~になります」で語尾を繋げる若者表現と同根だ。
  これは断定・断言をはばかり他者の反応をうかがいながら会話する、まさに、私がかねてから指摘する論理忌避の風潮。 これじゃ日本社会は情緒社会のままだ。
   情緒では動かない国が世界の圧倒的多数である事実の前に、論理で勝負する気構えを欠く日本人よ。 それで良いのか???  負け続けても良いのか?
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