静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 西 国 の 旅 ≫ 1/? 保 津 川 下 り

2022-11-16 23:01:32 | 旅行
 毎年、秋は西日本各地を訪ね歩くのを楽しみにしている。例えば、2018年末はアメリカ人の孫息子を連れて京都から出雲大社、私の父母のルーツたる島根の寒村へ。
これは日本人の血を受けた己が出自を理解する助けになれば、との思いから。・・何かは彼の胸の底に沈んだ、と思いたい。
 19年は大学時代の友と四国の香川から愛媛を回った。20年と21年は京都の民泊を根城に京都・奈良だけに絞り、ゆっくり歩いた。民泊滞在の良さを実感したのが此の時だ。
今年は9月に長男が来日し、彼が望んだ金沢と能登に遊んでいる。こうして振り返ると、コロナ騒ぎも疲労をもモノともせず、奔放に楽しみ、絶えない余暇を消費してきた。
 今回の旅は、これまでと比べると一貫性や脈絡に欠けるが、それなりに面白かったので、心に残ったことどもを綴りたい。

 旅の初日は5年前に亡くなった高校時代の友の墓に学友3人と参り、往時を偲んだ。明くる日、いちどは体験したかった保津川下りに行った。ご存じの方も多いだろうが、
川下りの船は亀岡市からスタートする。亀岡まではJR山陰線で行く方法と、嵐山から出るトロッコ列車を使うテがある。
 トロッコ列車の響きに魅かれた私は天蓋なしの最後尾車両を予約。団体さんでごったがえす中、デイーゼル機関車の騒音、曲がりくねる鉄路を軋み乍ら、列車は現在の山陰線が走るのとは異なる経路をガタゴト走った。昔は此の線路を何に使ったのだろう?と想いながら揺られていると、車掌のアナウンスで、一部が往時の山陰線でもあったというが、如何にもトンネルの高さが低いので、果たしてSLが通れたの?と素朴な疑問を抱いた。

 亀岡に着くとバスで船着き場まで行き、先着順で乗り込む。船の定員20名?があるし、客グループの人数ごとに体格を見ながら左右に振り分けるので、船頭たちは全員を座らせるまで一苦労。外国人のグループも居たので、その神経の使いようは見ていて気の毒なほどだ。
 船頭は3人組。船の舳先を担当する男は傾斜の着いた三角の板の上を駆け下りたところで竹竿の先を川底に突っ込み、船を前に進める。客の前に陣取った者は櫓をこぐ。其の櫓だが、船縁と接触する部分に時々バケツで水をかけ冷やしている。冷やさねばならないほどの摩擦熱が生じているとは、驚きだった。
後ろの船頭は舵取りをする。これも容易い仕事ではなかろう。此の分業で16Km・100分の間、1/3 あたりを過ぎた浅瀬で3人が交代するのだ。観ていると、竹竿を繰り返し川に突っ込んだり、時には岩に押し当てる舳先の役目が肉体負荷は最もキツソウだ。それは汗の量、息の乱れから分る。

 今日は水量が少ないのでスピードが出ない、とボヤキともつかない言葉を発し、3人3様に客へ愛想や蘊蓄を振りまきながらの労働、これは楽な仕事じゃない。夏の炎天下が一番辛いと語り、客足がピークの頃は嵐山の船着き場から電車で亀岡へ戻る忙しさ、1日に3往復することもある、と。川沿いの紅葉はまだ先のようだったが、川面の風は冷たく頬を舐め、時たま浴びる水しぶきでズボンの裾を濡らした。  岩場で少し船が降下する前は「女性の皆さんは、ワ~ではなく、キャア~!でお願いしますよ」と笑わせる。いやはや、こりゃ簡単な労働ではない、というのが十分わかった100分だった。          < つづく >
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