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≪ 寧鳴而死、不黙而生:胡適 ≫   ”目先の安寧に溺れ 本質から逃げるリスク”  そんな社会に明日はない 2018/5/13  【時評掲載】再読

2021-07-13 15:06:51 | トーク・ネットTalk Net
 もう長い間、政府の<コロナ対策の不備&オリパラ強行>が悪しきセットメニューとなり、世間でもメディアでも話題の中心で在り続け、民意の分断は激しさを増してている。
分断は、いつまで続く? ≪オリパラのモタツキ終了&「尻拭き」それにコロナ感染が下火になる≫状態がやってこない限り、いくら総選挙をやっても政府が期待している”人心の一新”など、無理だろう。

ワクチン接種率が高まり、少しは今までの閉塞感は薄れようが、民意の分断と格差拡大が変わらない現実を覆い隠すことはできず、モヤモヤ感はオリパラ強行突破の虚しさと重なり年の瀬に向かう・・・。

 それでも、いろいろな人が「国民よ!このまま黙っていてはいけない。」と叫んでいる。近いところでは・・7/11日(松尾貴史のちょっと違和感)が、投票を棄権する愚かさに気付けと呼びかけた。
また本日の(「昭和の亡霊五輪」は盛り上がる?:モーリー・ロバートソン)もわきまえ・黙っている国民を叱咤するもの。 繰り返し繰り返し言われている核心は、もう皆さんも耳タコだろう。

 読者のどなたかが、3年前の5月に書いたコラム(=上記タイトルに挙げたもの)を読まれた事がわかり、今まさにピッタリな言葉か、と再読してみた。。。

◆ 寧鳴而死、不黙而生
  ≪むしろ鳴いて死すとも、黙して生きず=沈黙して生きるより、発言して死ぬ方がましである≫ ← 中国・宋代の范仲淹の言葉。
  この成句は、個人の倫理・節操といった生き方についての指針であるばかりでなく、そう思う個人達の集合体に我が国はなれるか? という問いかけでもある。

辛亥革命後も中華民国は乱れ続け、国の独立が危ぶまれた1910年代、胡適はこの言葉を引いて青年層に行動を促した。その青年層の多くは当時進んでいた日本に留学した人たちだった。
陳独秀、孫文、魯迅、周恩来然り。 今の日本は独立が危ぶまれるのではないが、本質から眼をそらしたまま沈黙する国民が招く自壊・自滅の危機に向かっているのでは?  
 「沈黙して生きるより、発言して死ぬ方がましである」・・これは「如何に生きて死ぬべきか」と考えるのを放棄し、長寿万歳に「うつつ(現)」をぬかす日本人への警句だ。
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