今回の上高地・松本への旅は私たち夫婦が知り合うきっかけとなった、北杜夫さんの『どくとるマンボウ青春記』を念頭に計画したものでした。
ただ、計画といってもものぐさな2人ですから、旧制松本高校の跡でも訪ねてみようかというぐらいで、行き当たりばったりの旅にかわりはありません。
家に帰ってから、夫が1冊の本を取り出してきました。
どうも北さんは私たちが利用した上高地温泉ホテルに泊まったことがあるみたいだ、というのです。
それは『母の影』という父親斎藤茂吉さん、母親輝子さんなど、斎藤家の人々のことを書いた随筆集(というよりも真実に近い私小説短編集か)でした。山本容子さんのカバーも素敵です。巻頭にあるのが、神河内(かみこうち)という一文です。
昭和20(1945)年7月25日、まさに60年前、終戦の直前に北さんは島々から上高地に歩いて登っていきます。途中、松本高校をめざした一つの理由でもある「虫」採りをしながらです。
かといって、遊びごころだけではなく、本土決戦で、自分も死ぬことは間違いないという感傷的な気持ちを持ちつつでした。
当時、1軒だけ開いていた温泉旅館のまわりを足のむくまま歩いて詠んだ、という歌が載っていました。北さん18歳の時の作です。
一人きてただ眺め入る川水は悲しきまでに速く流るる
現身(うつせみ)のわれの眺める川水は悲しきまでに透きとほりゐる
梓川の音のみ高くこの峡(はざま)は恐ろしきまで静まりにけり
なんだか上高地の旅が少し輝きを増したような気がします。
ただ、計画といってもものぐさな2人ですから、旧制松本高校の跡でも訪ねてみようかというぐらいで、行き当たりばったりの旅にかわりはありません。
家に帰ってから、夫が1冊の本を取り出してきました。
どうも北さんは私たちが利用した上高地温泉ホテルに泊まったことがあるみたいだ、というのです。
それは『母の影』という父親斎藤茂吉さん、母親輝子さんなど、斎藤家の人々のことを書いた随筆集(というよりも真実に近い私小説短編集か)でした。山本容子さんのカバーも素敵です。巻頭にあるのが、神河内(かみこうち)という一文です。
昭和20(1945)年7月25日、まさに60年前、終戦の直前に北さんは島々から上高地に歩いて登っていきます。途中、松本高校をめざした一つの理由でもある「虫」採りをしながらです。
かといって、遊びごころだけではなく、本土決戦で、自分も死ぬことは間違いないという感傷的な気持ちを持ちつつでした。
当時、1軒だけ開いていた温泉旅館のまわりを足のむくまま歩いて詠んだ、という歌が載っていました。北さん18歳の時の作です。
一人きてただ眺め入る川水は悲しきまでに速く流るる
現身(うつせみ)のわれの眺める川水は悲しきまでに透きとほりゐる
梓川の音のみ高くこの峡(はざま)は恐ろしきまで静まりにけり
なんだか上高地の旅が少し輝きを増したような気がします。
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