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ブラジルの土に生きて~岡村淳監督のドキュメンタリー映画

2008-03-13 | 映画・テレビ
日本人のブラジル移民が始まって、今年はちょうど100年にあたります。

それを記念して、3月25日までJICA兵庫で、写真展「新世界に渡った日本人」が開かれています。

第1回の移住者781名は神戸港から「笠戸丸」に乗ってブラジルに向かいました。神戸には国立海外移民収容所があって、ここで研修を済ませて移民することが多かったのです。




3月1日(土)には明治生まれの移民夫婦、石井延兼さん、敏子さんの晩年を撮ったドキュメンタリー映画「ブラジルの土に生きて」の上映と岡村淳監督の講演会がありました。

司会者が「遠くから監督にお越しいただいて・・・」と紹介したので、どこから?と思ったら、なんと、ブラジルからいらしたのでした。

「ブラジル移民の岡村です・・・」と話し始めた監督。
大阪から阪神電車で神戸に移動した岡村さんは、六甲の山並みを見て、目頭が熱くなったそうです。

まぎれもなくこの景色がブラジル移民の方々が最後にみた日本の景色だっただろうからです。

監督といっても、企画・カメラ・編集すべてお1人でこなした作品です。

延兼さんは明治42(1909)年、敏子さんは明治44(1911)年生まれです。
女の子ばかり5人のお子さん、8人の孫、1人のひ孫に恵まれました。

反政府運動で、フランスに亡命せざるをえなかったお子さんもいます。岡村さんが撮った晩年―1997年からの4年間、お2人に縁のある方たちがフランスから、スイスから、カリフォルニアから、日本から夫妻のもとを訪れ、結果的に最後のお別れをして帰っていきました。

敏子さんは大病を患った延兼さんの介護をし、農園の仕事を手伝いながら、70歳から始めた陶芸にも情熱をそそぎます。

映画の中で、90歳になったら、また新しいことを始めたいと話す、背筋がピシッと伸びた女性でした。何か始められたのか監督から、聞き逃しました。

延兼さんは1999年6月に89歳で、敏子さんは2007年7月に96歳で亡くなったそうです。
小鳥のように静かに・・・。

「これこそ自分の焼きものだというものを残してください。そしたら迎えにいくよ」
延兼さんが敏子さんに残した言葉です。


食堂の今月のエスニック料理はもちろんブラジル料理

おしるこ風なのはフェジョン(豆シチュー)です。カレーのように、ご飯にからめて食べるのだそうですが、味がなくて―甘くないおしるこみたいで困りました。監督が塩気を足したほうがいいと言われましたが、それを先に聞きたかった。

ジャンボ餃子風なのはパステウ。タバスコを振ってと説明されていましたが、ポン酢でおいしくいただきました。

パルミットサラダはヤシの新芽のサラダ。アスパラと筍の食感です。




ブラジル移民は平成5年の10名が最後だったそう。
つい最近まで、事業は続いていたんですね。

ロビーでサービスされていたコーヒーがおいしかったので、買って帰りました。




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