狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

ヒットラーユーゲントと日本の青少年

2018年02月10日 | 狩猟と銃

1938年(昭和13年)の7月から11月までナチスドイツよりヒットラーユーゲントが来日した。

金髪碧眼そして偉丈夫の彼らは堂々と行進し、各地で大歓迎された。

北原白秋も「万歳ヒットラーユーゲント独逸青少年歓迎の歌」を作詞し、各地の学生生徒は歌った。

私の知人で、当時中学生の方がいた。軍からの教官に毎日のように殴られ、反軍思想の持ち主になっていたが、ヒットラーユーゲントの行進を見て、軍国少年に変わったそうだ。

さて、日本からも青年団がドイツを訪問した。

軍服擬きの服装で、足にはゲートルを巻いていた。

ドイツ在住の日本人は恥ずかしくなり、彼らの為にヒットラーユーゲント風の立派な団服を寄付したそうだ。ヒットラーに声を掛けてもらったようだ。

帰国後は青年団活動に邁進し、戦火の中へ消えて行った。

 

ほとんど忘れられたことであるが、私は美濃関市の刃物関係から知った。

美濃関を訪問したヒットラーユーゲント達に一振りの短刀が贈られていたのだ。その一振りをドイツ人が所持し、ドイツの刃物市を訪問した美濃関市の方が、短刀の手入れをしていたのだ。

その短刀は現在美濃関市に帰っている。


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2 コメント

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そんな歴史があったのですか (京男)
2018-02-11 21:09:30
こんばんは。
日本人は、そういうのに弱かったでしょうね。
向こうからしたら、収容所にいれようと思っていたかも。
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いつもありがとう (常盤万作)
2018-02-12 08:06:19
ヒットラーからすれば、黄色人種なんて嫌いでしたでしょう。ヒットラーユーゲントの行進には北朝鮮のマスゲームと同じ美しさが有ります。
神宮外苑の壮行会での行進は雨の中、悲しく勇壮ですね。
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