主人の意向で、急に大船観音に行くことになりました。
今回は、本当に沢山の気付きがありました。
大船観音は、白衣観音です。
白衣観音は33観音のひとつで白處尊菩薩、服白衣観音、白衣観自在母とも称されています。諸観音の母であるともいわれることから、息災除病の仏として、子宝を授け、安産を成し、子供の無病成長を願う人々がお参りされています。
前回から感じていたことですが、外に大きなお姿として、山の上から地上を温かく見守る観音様と、
その内部にいる観音様の顔と波動が、わたしにとってはまるで違うものでした。
外の観音様のお顔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f4/ab7a1f155df099ad6445f40a3c41d5c1.jpg)
内部の観音様のお顔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/f1/092b62f1b5857124980cc18f730c1c69.jpg)
内部の観音様のお顔から感じるものは、
まず、その頬のところに、涙のたまり場のようなもの、涙跡のような、それが渇いて・・といった
うまく言えませんが、とてもそのようなものを感じるのです。
主人と一度中に入り、お顔を拝見したあと、主人は外の藤棚下のベンチで寝始めたので、
わたしはもう一度中に入り、お顔の前にあるベンチに座り、観音様と対峙しました。
何人かの人が行き交う中、観音様は静かな微笑みを、そのような波動を絶やさずおられましたが、
内部の空間から人がいなくなった時、それは起こりました。
誰もいない、観音様とわたしだけの空間の中で、
胸に伝わってきたのは、静かな、でも大きな、悲しい、とても深い、沈痛の「気持ち」でした。
最初、わたしの悲しみなのか・・と戸惑うほどに、それはいきなり入ってきました。
そして、それが観音様の、悲しみだと知ったとき、わたしも涙が出ました。
その悲しみとは・・
ここに来て祈る、これが困った、あれが大変だから助けてください・・というものも含まれますが、
観音様は、「母性」です。
母の悲しみというと、子供の心、子供を反映しています。
今のわたしのテーマ、「水子さん」産まれずに亡くなった霊魂に対する思い。
虐待も含まれます。
そのわたしの思いと、観音様の悲しみが、交差したのかもしれません。
そう思えてなりませんでした。
大船観音様だけではなく、沢山の観音様方が、
それは感じておられる悲しみなのではないかと思います。
「観音様、観音様の悲しみが、少しでも安らぎに変わるように
わたしにも、出来ることをさせてください・・」
入口にノートがあり、多くの書き込みがありますが、わたしもそこにこれからの意志を書きました。
そして外に出て、おみくじを引いたら、8番の大吉でした。
運がいい・・というものではなく、「おやりなさい」というお許しのように受け止めました。
これからは、別ブログにて、日本の堕胎の現状、水子さんの供養について、
学んだことを書いていきたいと思います。
そして、また不思議に思ったのは、
内部の観音様の周りにあったいくつかのもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/b0/0057cc4c05e789f513033bb4928781d2.jpg)
「礼拝台」
「太鼓」
「弁財天の掛け物」
礼拝台は、キリスト教のものですよね。
太鼓は、東海寺の弁天様の御祈祷にドンドンドン・・と使われていますし、神社にもあります。
そして、聖母マリアと、百衣観音は、どこか一本線で繋がっている感覚も大いにあります。
観音様って、何ものにも囚われず、もっと自由な大きな愛で、わたしたちを包んでくれる存在なのではないでしょうか。
主人も仕事で疲れていたのですが、観音様の前のベンチでうとうととしていたら、
すっかり身体が軽くなったと言っていました。
とても有難い、有意義な一日でした。
今日も良い日になります。
有難うございました。
今回は、本当に沢山の気付きがありました。
大船観音は、白衣観音です。
白衣観音は33観音のひとつで白處尊菩薩、服白衣観音、白衣観自在母とも称されています。諸観音の母であるともいわれることから、息災除病の仏として、子宝を授け、安産を成し、子供の無病成長を願う人々がお参りされています。
前回から感じていたことですが、外に大きなお姿として、山の上から地上を温かく見守る観音様と、
その内部にいる観音様の顔と波動が、わたしにとってはまるで違うものでした。
外の観音様のお顔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f4/ab7a1f155df099ad6445f40a3c41d5c1.jpg)
内部の観音様のお顔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/f1/092b62f1b5857124980cc18f730c1c69.jpg)
内部の観音様のお顔から感じるものは、
まず、その頬のところに、涙のたまり場のようなもの、涙跡のような、それが渇いて・・といった
うまく言えませんが、とてもそのようなものを感じるのです。
主人と一度中に入り、お顔を拝見したあと、主人は外の藤棚下のベンチで寝始めたので、
わたしはもう一度中に入り、お顔の前にあるベンチに座り、観音様と対峙しました。
何人かの人が行き交う中、観音様は静かな微笑みを、そのような波動を絶やさずおられましたが、
内部の空間から人がいなくなった時、それは起こりました。
誰もいない、観音様とわたしだけの空間の中で、
胸に伝わってきたのは、静かな、でも大きな、悲しい、とても深い、沈痛の「気持ち」でした。
最初、わたしの悲しみなのか・・と戸惑うほどに、それはいきなり入ってきました。
そして、それが観音様の、悲しみだと知ったとき、わたしも涙が出ました。
その悲しみとは・・
ここに来て祈る、これが困った、あれが大変だから助けてください・・というものも含まれますが、
観音様は、「母性」です。
母の悲しみというと、子供の心、子供を反映しています。
今のわたしのテーマ、「水子さん」産まれずに亡くなった霊魂に対する思い。
虐待も含まれます。
そのわたしの思いと、観音様の悲しみが、交差したのかもしれません。
そう思えてなりませんでした。
大船観音様だけではなく、沢山の観音様方が、
それは感じておられる悲しみなのではないかと思います。
「観音様、観音様の悲しみが、少しでも安らぎに変わるように
わたしにも、出来ることをさせてください・・」
入口にノートがあり、多くの書き込みがありますが、わたしもそこにこれからの意志を書きました。
そして外に出て、おみくじを引いたら、8番の大吉でした。
運がいい・・というものではなく、「おやりなさい」というお許しのように受け止めました。
これからは、別ブログにて、日本の堕胎の現状、水子さんの供養について、
学んだことを書いていきたいと思います。
そして、また不思議に思ったのは、
内部の観音様の周りにあったいくつかのもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/b0/0057cc4c05e789f513033bb4928781d2.jpg)
「礼拝台」
「太鼓」
「弁財天の掛け物」
礼拝台は、キリスト教のものですよね。
太鼓は、東海寺の弁天様の御祈祷にドンドンドン・・と使われていますし、神社にもあります。
そして、聖母マリアと、百衣観音は、どこか一本線で繋がっている感覚も大いにあります。
観音様って、何ものにも囚われず、もっと自由な大きな愛で、わたしたちを包んでくれる存在なのではないでしょうか。
主人も仕事で疲れていたのですが、観音様の前のベンチでうとうととしていたら、
すっかり身体が軽くなったと言っていました。
とても有難い、有意義な一日でした。
今日も良い日になります。
有難うございました。