産むことに迷う人、産みたい人、堕胎・水子供養のこと

産みたいけど迷っている人、水子さんの供養のこと、堕胎のこと、
命のサポーターとして、役立つ情報を載せています。

小さなお友達

2017-12-14 10:17:37 | 気付き
友達って、いつの時も出来るし、いくつになってもできるものだと思う。

それよか、昔の友達もいいけど、今の自分の波動のお友達のほうが、

今の自分にしっくりくるということはありませんか?



昔のお友達も何ものにも代えがたく、大切な人たちですが、

「今」の呼吸している自分を全てだと受け入れてくれる人も、素敵です^-^



今回の小さな友達は、もう会うことのないお友達。

それは、小さなカマキリでした。



夏も超えた頃、2階のベランダになぜかいた、小さな茶色いカマキリ。

エサもないのでやせ細っていて、片手もありませんでした。

わたしは大急ぎで、そのカマキリを庭に放し、

「誰がベランダに持って行ったのかわからないけど、

もしそうだったらごめんね」

と謝りました。



先日、主人のパワーストーンの容器とさざれと石を、浄水で洗い、

ザルの中に入れて日光にあてていました。

夕方近くになり、中に入れようと思ったところ、

そのザルのところに、いつぞやのカマキリがいました。

ザルによじ登っていたので、ザルの中のパワーストーンを回収すべく、

べつのお皿に入れようと持ち上げたら、しっかりくっついていました。

ほほえましくて、でももう秋で、カマキリはガリガリで、呼吸だけしているようでした。



「いつまででもここにいていいよ。」



そう言って、ざるだけそのままにして中に入りました。



1時間ほどして、また見ると、もういなくなっていました。



2段の石段を、どのようにして上がったのかな。

そう考えたら、また会いにきてくれたのかなとも思いました。



外は木枯らしのような風が吹いて、餌もないだろうに。



でも、会えてよかった。



後からじわじわと気持ちが上がってきて、

それから次の日も、庭に出て探したけれど、見つかりません。



そんなとき、わたしは、生きとおしの命を思い出し、

自分を慰めます。



どんなに好きでも、どんなに一緒に暮らしても、

自分が天に昇る時には、誰ひとりとして連れていけない。

誰ともお別れして行かなくてはならない。



だけど神様は、

虫にも人間にも、「生まれ変わりと永遠の命」という

チャレンジと再開のチャンスを与えてくれた。



だから、またきっと会えるし、寂しくない。



小さいからこそ、言葉が通じないからこそ、

余計に大事になって、切なくなる。



それも友達。

わたしの、大事な友達です^-^





寒くなりましたが、ご自愛くださいね^-^



読んでくれて、有難うございました^-^



パワーストーン、好評です♪

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人々を無視してテレビは踊り、時代に巻かれながらわたしたちも踊る

2017-11-13 21:31:28 | 気付き
わたしは、大食い番組が好きでした。

今日も、鳥カツを食べながら、何気なくつけたテレビ番組の中で、

女性大食いタレントさんが、美味しそうに山のようなご飯を食べていました。

食べっぷりが良いのですが、途中から顎が痛いと言い出し、でも最後まで頑張って食べる姿を見て、

わたしの箸が止まってしまいました。



最近増えた子ども食堂、貧困の家庭、シングルマザー、シングルファザー、独り身のご老人、

老老介護、二十代の自殺・・・



ぐるぐる頭の中を巡り、

今もし、この番組を、お腹をすかした母親と子供が観ていたら・・と思ってしまったのです。



この間も、石橋貴明さんの「保毛尾田保毛男」が物議を醸していましたが、

これも、時代が変わってしまった・・というか、

社会が大きく変わったからですね。



テレビという箱の中の人たちが、

今のリアルをどれだけ理解しているんだろう。



時代に取り残された人々とテレビは言いますが、

違う。

利権のために、お金と名誉と文明のために、

血眼になってそれを追うもの、引きずられるもの、

ネットが普及して、誰もが何か、鏡張りになってしまって、

自分を隠すもの、隠してくれる自分の領域がとっても狭くなって、

それだったら置いて行かれないように、スマホを握りしめ、

通信費を払い、孤独から逃げる。

イイネの数で、自分の輪郭を追えると幻想を抱きながら。



新しい店、新しい味、新しい服、

新しい場所・・・・



テレビもネットも、これでもかと紹介する。

普通の味なのに、白眼をむくようにして、絶賛する。



LINEニュースが途切れることもなく、人々のつぶやきが止まることもなく、

ミサイルが頭上を飛び、それを防ぐ手立てもなく、

わたしたちは踊る。

踊らされる。



AIに消される人々という記事がネットに載り、

人間の尊厳性が機械にジャッジされる時代になってしまったか。





一度止まって、わたしは考えたい。



というか、止まりたい。



こんな世界に未練もないけど、

救いたい人がいる。

愛している人がいる。

こんなわたしを、慕ってくれる人がいる。



時代の中で足をふんばりながら、



私は私らしく、生きていこう。


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強くなりたい

2017-10-31 09:21:15 | 気付き
昨日、父の病院に付き添った帰り道、

新利根大橋を車で走っていたら、右にクッキリと富士山が見えました。

その時、初めて浮かび上がった言葉


強くなりたい


というものでした。


強くなりたい 強くなりたい・・・・
そう呟いていたら、涙がいっぱい出てきました。


長男が強くなりたいと言います。
そのたび、男の子はそうだねと思っていましたが、
彼の強くなりたいという気持ちに同化出来ました。

わたしは、大抵のことは耐えられます。
しかし、耐えられることと、強いということはまた少し別で、

耐えられる上に、前に進む力が欲しいと思いました。

これから来る、親の死、介護、子供のさらなる成長、

自分の身体の変化、夫とともに進む身体の老い、

経済的なこと、親戚の付き合い、お墓のこと、

完全に第三の人生に突入しました。

今まで与えられる人生だったこと、

これからは与える人間になりたい。

前に鑑定を辞めましたが、

不定期ですが、出来る時に募集しようとも思っています。

父のブログの再開、わたしに出来ることです。


色んなものが見える次男に、中高生のうちに勉強を済ましたほうがいいと教えていた時、

わたしの後ろのオーブンレンジにお侍さんのような人が座っていて、

次男にそれを言っている時、わたしの背中に手を当てていたそうです。

御先祖様、守護霊様にも、改めて感謝しています。


今日も良い日を。

有難うございました^-^
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マスコミが煽る日本人と日常とのギャップ

2017-09-26 09:45:40 | 気付き
お昼、ヒルナンデスを見ながら食事をしていたら、


コーデバトルや、今流行りのもの、新しいお店、ランチのお店、

毎回新しいラインナップを紹介し、

それはそれで楽しいのですが、







今日の朝のニュースで、現在の日本人の年収分布が、

だんだんと推移していることに驚きました。

グラフでしたが、年収400万が一番多く、400万以下の棒グラフの山が盛り上がっているのに対し、それ以上の収入グラフは少なくなっている。

3年後には、年収400万未満が60パーセントになるといわれています。




転職を繰り返した後、自営業をしている子供二人の家庭の1か月のお菓子代が、

500円。




きっと手作りをしているのだと思います。それは身体には良いことだと思いますが、


本当に、今の働き盛りの世代とともに、若い皆さんが、頑張っていることを思いました。





我が家も子供3人いて、これから大学に進む(進めるのかな・・)予想の中で、経済的にも上り坂です。

けれど、大学も昨日の番組の中、大学進学率が、短大がめっきり減り、全体的に60%を切っていたのです。




少し逸れましたが、テレビが見せる、今の日本人の生き方とトレンドと、

実際地に足つけて生活している日本人の生き方のギャップを思いました。




少しずつ、少しずつ、

今まで見逃してきたことへの、マスコミに対しての

生活者からのクエスチョンマークが、

これから増えていくように感じます。




その理想の生活を見せられるたび、目まぐるしく変わるファッションにも、

自分もそうしなければ置いて行かれるというような気持ちや、

本当は地に足つけて頑張っているのに、そういう自分を、そういう同じことの繰り返しの毎日を地味に感じてしまう思い、

そういう人たちがいるからこその日本なのに、

本当に頑張っている人たちに失礼だなあ・・と思ったのでした。




華やかに振舞う芸能人たちには、それぞれの苦労もあるでしょうが、

それを利用して消費を促したり、なにか急かしたりすることは、

やめていただきたいです。

もっと言うと、朝の9時くらいからのニュース討論で、

したり顔のハーフタレントとか起用していると、チャンネル変えます。

どうせ上から、情報統制されてそれに則ってコメントするのでしょう。




生活保護の1か月の受給額が12万、

整備士をしている方の最後のお給料が「12万」の現実を、

かたやニュースで朝から流している。




テレビの情報ではなく、ネットを駆使して本当の自分に合った情報を手に入れること。

それが今求められているように思いました。




読んでくれて、有難うございました。




今日も良い日になります。有難うございます^-^/










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スマホからガラケーに

2017-01-29 12:31:43 | 気付き
気がつくと、スマホを手に取り、アメブロで記事を読んだり、ミクシィを読んだり、

子供にゲームを貸したり、電話の機能はどこへ・・というほど、写真を撮ったり、ラインでちょこちょこ会話したり・・と、とても楽しい生活でしたが、

なんだか最近、そうしている自分に疲れてしまって・・




特に次男とのゲームを挟んでの言いあいやら、スマホがなければ、怒ることはないのに・・というものまで、

便利だけれど、気持がひっちらかることが増えてきました。




電話も、取ると切れてしまう電話もちょくちょく出てきたし、

この際スマホからガラケーに変えようとなり、電話番号も変えることにしました。







そこの、時間が空いたところに、ごまかすものを入れるのではなく、ちゃんとしたものを入れていきたいと思っています。




あと、最近思っていることは、自分が不慮の事故などで死んだあと、

ブログをたたんで欲しいこと、ネット銀行を持っているので、微々たるお金ですが、それも早々に処理してほしいことなど、考えれば色々と出てきます。

アマゾンで本屋さんもしているし・・これは息子に引き継ぐか(笑)




わたしは手帳に、一覧を作り、サイトと暗証番号など書いたものがありますが、これも説明しないと、何がなんだかわからないはず。




うーん・・これも簡素にしたほうがいいのだろうなぁ・・

などと思いながら、また同じ感じの日々が連なる。




でも、虫の知らせというか、こういうことって、ある日突然、ヨシ、こうしよう☆と思った時がやる時だから、その時まで待ってみよう・・とかね。




わたしは文章を書いている時が幸せで、口に出して自分を表現するのがとてもヘタな人間だから、ここで表現できることを、本当に幸せに思っています。読んでくださる皆様にも、ここを借りて、本当に有難うございます。

だから、ネット社会に対して、有難うという気持ちも沢山あるのだけれど、




本当に、不器用な人間だなぁと思ったりもします。




新月の頃だから、気持が色々とぶれたり、これからどうやって生きていきたいかなぁ・・などと、昨日はとつおいつ考えてました。




そんな時、父のお見舞いに長男と行って、元気な父の姿を見て、こちらも励まされたり。

線香花火の最後の丸玉のように気持ちがぶれる時には、

瞑想して感謝することに尽きます。感謝することで、一歩目の前の道が、カンテラのように照らされる気がする。今はそれで充分。




今日も有難うございます。

読みに来てくれて有難う。




今日も良い日になりますように。。



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2015-06-11 10:05:20 | 気付き
最近、子供に言っていることがある。

心から、人にしてあげたいと思うことは除いて、
これをしたら喜ばれる、これをしたら自分が良い人と思ってもらえると思いながら
重たい役を引き受けたり、何か自分が犠牲になることは

全くもって必要ない。することないって。

それは、わたしが充分経験した。

そうすることで沢山の人が救われたり、助かったりすることは徳に繋がると思うし、
それをしてはいけないとは絶対言わないけど。
それが、結果的に自分の進歩や満足に繋がると思えることは、どんどんしたほうがいいと思うけど。

でも、それで自分が鬱々として、逆恨みとか、やらなければ良かった・・と思うのであれば
した意味がわからなくなってしまう。

そして、
どうしても、気持ちが乗らないから、とか、
どうしても行きたくないとか、
わたしがこうしたら家族の中に、犠牲になるものが出るとか、

そういうものがある場合、行かない方がいいし、やらないほうがいいし、引き受けないほうがいいんだって。


結局断って、自分がやらない役割を、
他の人がすることになる。
でも、それは、他の人にとっての初体験だったり
奉仕の経験だったり、学びになっていたりする。
自分が嫌々することより、ずっと進歩的。

そのくらいに考えて、
もう、自分が損すればいいっていう考え方そのものを辞めたい。


それが、やりたいことであれば、良いと思うけど、
要は、良い人はやめようっていうシンプルなことなのです。


何か目の前にあることに対して、選択に関して、
どう考えても必然であり、取り組むべきと思うことには全力で取り組む。
自分のためだと思えることは、潔く真っ直ぐに。

そして、もしかしたら大変だろうけど、これに取り組むことで、
自分の魂が本当に喜んだり、
自分が活きることを、感じられて、自分が喜ぶんだろうなってことは
迷わずに進んで欲しいと自分にも子供にも思っている。


その潔さと、世界や他人に対する媚びを排除する我儘を、
子供達も自分も持っていたい。


すごく世渡りのうまい人がいる。
シャランとその場を免れて、のうのうとしている人がいる。
周りを気にする人がいる。
周りによく思われたくて、感謝されたくて、自分にあえて損をさせてしまう。


どっちが良いじゃなくて、どっちも良くない。


だから、自分の軸棒をしっかりと持ち、自立して生きていく。
断る力、自分を活かす力、きちんと見ることの出来る力。

そのやり方を、これからも子供達と模索していきたいと考えています。

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日々雑感

2015-04-16 18:55:50 | 気付き
日々生きていると、自分ではなくても、家族が、親戚が、怪我をしたり色々。
手をかしたり、動く中で、今日車に乗りながら、なんかすごくわかったことがある。


今まで自分が生まれた中で、わたしは、何か一発ドカンと、花火を打ち上げなければいけないと思っていた。
書籍の出版、お金を儲けること、それによって家族を幸せにしていくこと、何か自分が輝くことが、必要なのではないかと思っていた。


でも、そんなことしなくても、わたしは充分、愛されている。
今のままで、このままで、ありのままのわたしで、本当にいいんだって、車の中で思った。

これは、あくまでわたしの持論だから、ふ~んと聞いてもらえればいいんだけど、
なんか、躍起になることから解放された。
○○しなければならない、という、自分が生きていく中で、この人生の証明のようなものが、
欲しいと思わなくなった。
このままゆっくり死んでも大丈夫というような、今の自分にokを出せた。
何か特別、すごいことを今しているわけでもなく、バリバリ働いているわけでもない。
でも、3人の子供と一人の旦那さんと暮らす中で、それなりにやることも出てきて、お世話することも出てきて、それと向き合うことで、自分が生かされているのを感じる。

もっと丁寧に暮らすというか、一日これだけやったんだからという証明が欲しくなくなった。
それは、怠けるというものではなく、もっと優しい何か。
自分に対して向ける眼が、厳しかった昔に比べて、優しくなった。

車に乗りながら、天使に立会人になってもらった。

今あるだけのお金、足りるならばそれで充分です。
この人生の中で、自分が花火をドッカーンと打ち上げて有名にならなくていいです。
証明はいりません。心静かに暮らしていきます。

そんな中で、授業参観があり、行った。
今までは、みんなと仲良く・・というものがあったけど、それもどうでもよくなってた。
誰と話さなくても、ゆきおが見れればいいと思ってた。
そしたら、何人もが自分から話しかけてきてくれた。
不思議な感覚だった。

自分の顔に戻るんだな。

それは、他人向けの笑顔が無くなっていくものかもしれない。
でも、それは、わたしにとってとても嬉しいことで。
わたしも飾り気のない人がずっと好きだった。

そういうふうに、わたしもなれるのかもしれない。

まだまだ握るものは多いけど、少しずつ手放していこうと思っている。



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長男の気付き

2015-04-10 18:20:02 | 気付き
前の日記に書いた、長男が友達からのからかいの件で悩んでいるというお話の続き。

今日彼が帰ってきて言いました。

「お母さん、僕気づいた。」
「なに?なにに気づいた?」

「今までは、人を思いやるってことに気づいていなかった。
だから、これからは、人の気持ちを大切にしていきたい。人に優しくというか。」



「・・・すごいねお前。どこでどうしてそれを思った?」


「下校の時に、なんであいつは色んな人と喋れるんだと思ってた。そしたら、
もっとけじめをつける、人間的なことをしろって思った。」


「それは、急に思ったということ?」

「うん。」


という会話の流れ。


圭吾、母ちゃんは嬉しいぞ。



愛がすべてという言葉、色んなところで書かれているけど、


結局そこなのかもしれないね。


人を攻撃するとかしないとか、
憎むとか恨むとか、どう対処するとか、

それを飛び越えたところに圭吾は行けた。

その意識こそが、現実を少しずつだけど、変えていけるのかなと思うのよ。


あなたの在り方が一番大事で。

そして、今まで読んでくれている人たちにも報告したくて。

嬉しくて書いちゃいました。


有難う。
大切なことを教えてくれて、有難う。
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目標。

2015-04-09 09:19:18 | 気付き
ここのところ、気圧が低いのか、低血圧と目眩が続いている。
今まで元気丸出しでやってきた自分にとって、これはちょっと・・なんというか思いがけないこと。
でも、
そういうことを体験すると、自分の生と死について、ボンヤリ考えたりする。
そして、やっぱり、生きていきたいと思う。

自分としては、いつ死んでも全然良い。
死後の世界も知っているし、今では一生懸命生きてきた自分が好きだから。

でもあまりにも重圧な、宝物を、
かみさまから預かってしまった以上、
自分が死ぬことより、死んだ後に天国から子供達や旦那さんの姿を見るのが辛い。
ほんと、死ぬほど辛いわ。
親より先に死ぬというのも、・・死ぬほど辛い。
いや死んでいるんですけども。。となるね(^-^)


最近、尾木ママの本を、なにげなく手にした。
そして、その本の最後のページに、

「幸せは、おいしいお味噌汁の中に、お豆腐やらネギやら油あげと一緒にちゃんと入っているの。
そこに元々あるものなのよ。あなたのすぐそばに。」


という言葉があり、本当にそうだと膝を叩いた。




浜辺に猫と一緒に暮らしているおじいさんが、ただあるがままに、過ぎていく一日を
笑顔で過ごせるということ。


わたしが生まれてきて、知ることは、ここにあるんだなと最近思う。


昔は、本当にカンボジアに小学校を建てたいと思ってたから、お金がいると思って、色々と頑張ってみた。
お金があれば、色んな人を助けられると思っていた。
詩の本も出したいと、動いて、出版の話も出たけれど、経費は会社と半々ということで、
お金が無くて諦めた。

色んなことを諦めて、手放した時、鑑定の流れになり、一番やりたかった、
人に愛の言霊を届ける仕事をしている。

わたしと文章は、死ぬまで一緒だと思う。

でも、もう、どうしても本を出したいとは思わない。
流れでそうなったらそりゃ嬉しいんだけど、それは上に決めてもらおうと感じた。


今は、この、
色んなことや人やものが自分から去り、
少しアンバランスな身体と向き合う感覚が、とても大切に思う。

きっとホルモンバランスなど、色々あるんだろうな。


今の目標は、
何が無い日でも、自然と笑顔が出る生活。

何かで自分を証明したり、何かで自分を認めるように仕向ける必要のない心に。


そこに向かっている気がする。

そんな日々です☆.。.:*・


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写真が教えてくれたこと

2015-04-03 13:53:46 | 気付き
自分の中で原型を留めていない崩折れたネガフィルムたち。

もう振り返らない、振り返りたくもない、今の自分が好きだし、それで良いと思っていた。
けれど、先日母が、結婚式の時の写真を所望してきたので、久しぶりに写真を探した。
なかなか出てこないアルバム。目眩もするし、疲れているし、もしかしたら身体が拒否していたのかもしれない。

でも、出てきた写真を眺めていて、ついでに出てきた、大学の時の写真や、中学校や高校の時の写真を目にして、どの時代も、どの時も、しっかり生きてきたんだと感慨を新たにした。

わたしの中では、嫌な思い出しか残していない。楽しい思い出も勿論あったのに。
その楽しい思い出が、きちんと証拠のように写真に残っている。

会社では遠慮ばかりしていたということの思い違い。
飲み会で目を見開いてふざけているわたしがいる。
大学のクラスでは、大人しかったと記憶していても、
写真では楽しそうにヘンなポーズをとっている。

記憶なんて、全然アテにならないもんだ。

勝手に可哀想と決め込むのも勝手だけど、
どうせなら、ここまでやってきた自分を褒めてあげようと感じた。

それと同時に、
決して一人だけの力で来れなかったということも、写真は教えてくれた。

わたしと会話してくれたみんな。から始まり、
嫌な上司だって、仕事を教えてくれたじゃん。
わたしをいじめた同僚のあの子だって、きちんと辿れば、あの喧嘩の原因だって、
今思えば、わたしが悪かったんだよ。
大人になればわかることも、あの時はわからなかった。
相手も同じだった。
しょうがなかったことがいっぱい。その時はしょうがなかった。
確かなことは、
あの時、精一杯のことをお互い選択した結果だから、
相手も自分も責めるなってことと思う。
過去に大きく○をつけて、頭をいっぱい下げて感謝したら、
前に進める。
あの時のすべてが今の自分をここまで押してくれた。
良いことも嫌なことも、間違った認識も、消したいと思う過去も。


過去を癒して今の自分を好きになるのではなく、
今の自分を無条件に愛して、過去の様々なことにも手を振りたい。


過去が言っている。

もう終わったことだから忘れていいよって。
無理に思い出す必要もない。

だって、認識自体が、歪んでいるから。

それを写真が教えてくれた。


過去を改竄して今の自分を正当化するのではなく、
正当化する必要もなく、わたしたちは過去からも未来からも愛されている。
それを知ることだと、改めて思ったんだ。


もし、
過去の写真を眺めて、その時の自分が寂しそうだったら
その写真の自分に対して、今の自分から、いっぱい愛を送ってあげたらいい。
頑張っていたね。苦しかったね。
でも、わたしはここまで来たから、未来のことは心配しないでって。


色んな形で、今が愛されていることを、もっと認識していきたいと思いました。


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世界から猫が消えたなら

2015-03-21 20:00:46 | 気付き
世界から猫が消えたならという本が、とても良かったと娘が言うので、読んだ。
今の自分へのメッセージがたくさんあって、何度もウルウル。

その中で、すごく気づいたことがある。

わたしは、最近、とっても気になる人がいた。
親戚にいる人で、はっきりと自分の意見を言う。気も強く、そして優しいところもある。
わたしは、その人に会うと、とても気を遣う。
その人のことが、ずっとグルグル回っていて、辛いほどだった。

世界から猫が消えたならの文章中に、悪魔の言う、こんなセリフがあった。

「だからね、アタシのこの姿は、あなたが想像する悪魔の姿なんです。あなたの心にある悪魔とは、あなたの姿をしていたということなんですよ。」

主人公
「でも性格は違います。」

悪魔
「そこがポイントなんだと思います。つまりアタシは、あなたが生きたかもしれない人生の象徴なんじゃないかと思うんですよ。
・・・とにかくね、明るくて、なにも考えてなくて、派手な服を着て。やりたいことをなんでもやって、周りの目を気にしない。で、言いたいこと全部言っちゃう自分。」

主人公
「たしかに僕と真逆ですね。」

悪魔
「そうなんです。無数にあるあなたの小さな後悔、こうしたかった、ああしたかった。
そこを分かれ道として逆に生きたら、あなたはこういう姿だったということなんじゃないでしょうか。でも悪魔的なものってそういうことなんだと思いますよ。なりたいけれども、なれない自分。自分に一番近くて遠い存在。」


と、アロハシャツにショートパンツの、主人公の真逆の服装の悪魔は言う。

そのちょっと前に、わたしの気になるその人について、
わたしに気付きがあった。
それは、
ありのままで良い、
そのままの自分で良い。
ということを、承認出来たということ。

それとともに、
その人を一日に何度も思い出すということが減り、
不思議なくらいだった。

そのあとに読んだこの文章。

わたしも、あの人のように、
言いたいこと言って、もっと強気の部分を出して、
生きたいのだと気づいた。
好きなこと言って、例えそれが反感を買っても、
それが相手のためなら言っちゃう。

それを承認出来たり、それができなくても
今の自分で良いのだなと思えること。

それに気付かせるために、
色んな人が登場して、
自分のもう一面を演じてくれていたとしたら、
この世に不必要な登場人物、不必要な人間って
いないのかもしれないとさえ、思える。

とても良い本でした☆.。.:*・
あちこちに哲学が散りばめられる。
そして、今目の前にいる大事な人、でも目の前にあるどうでも良いことに
一生懸命な自分に対して、
ポンポンと肩をたたいてくれる、
そんな本だと思いました。

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大泣き。

2015-03-12 14:40:58 | 気付き
久しぶりに瞑想した。

瞑想終わったら、言葉がポンと降りた。



「あなたが生きている。
それだけで充分です。」



涙出る。



それは、わたしがずっと誰かに
言って欲しかった言葉だった。


わたしは今まで、
なんのための証明をしてきたんだろう。
何が証明したくて、こうしてきたんだろう。


わたしは生きている。

生きている、こうして頑張っているから
わたしはここの、星にいる価値がある。

だから今日もこんなに頑張っている。
ほら、人のために。
なぜならわたしはライトワーカーだから。


だから一日大切に。
意義のある一日にしたいから。



スピリチュアルという言葉に傾倒しすぎないように
ある程度のバランスも取ろうとか・・

頭で色々心で色々考えながら・・

生きてきた。


横を見ると、
白いピンク色した、金魚のマナが、
すべすべ泳いでいる。


わたしは、
マナは、ただ生きてくれるだけで嬉しい。
言葉を喋らずとも、何かするではなくても、
こうして元気に口をパクパクして
たまに餌を欲しがってくれるだけで、とても嬉しい。

神様も、
同じ気持ちなのかなぁ。

こうして、沢山、
自分と同じ命の光ちゃんたちが、
毎日生きていること。


あなたが生きている。
それだけで充分です。


これはみんなに伝えてってことなのかもしれない。


何かを証明しなくても、
そこに生きている、息をしているあなたが、
ただただ、嬉しい。

だから、何かを証明して、だから認めて欲しいなんて
思わないでって。


わたしが今までやってきたことも
なにも間違いではなかったけど、
こうしてこういう言葉が降っただけで
どうしてこんなに泣くのかな・・


どうしてこんなに
嬉しいのかな・・・


人は、生まれた時、死ぬ時、
同じことを、人に伝えるのかもしれない。


生まれた時、
赤ちゃんは、
ただそこに寝ているだけで、神々しいと思った。
圧倒的な存在感。
温かさ。
笑ってくれるだけで感動した。


死ぬとき。
ベッドに横たわり、もうなにも出来ないあなた。
でも、こうして手を握るとき、
手が温かい。
それだけで、嬉しい。
生きててくれている。
それだけで、もう、何をして欲しいとか
家のことをしてくれないとか、
早く帰ってきてくれないとか
そんなことどうでも良くなる。

ただ、生きているってことが
この時間を刻んでいる時が嬉しい。

きっとそうだよね。

それは、教えてくれているのかもしれないと思って。


圧倒的な、生きるという意味。


一回感動したことはもう感動も薄れて、
どんどん欲しがるわたしたち。
自分の証明も貪欲にしようとするわたしたち。

それは日々冒険であり、
それももちろんもちろん素晴らしいことで。

修行になるし、鍛錬されて
いい顔になって、大正解だよね。


でもたまに、

戻って確認して、
また進むんだね。

わたしみたく、疲れて、
証明することにも疲れて・・


温かい涙を有難う。


光に感謝☆.。.:*・
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夢会議。

2015-03-09 11:31:22 | 気付き
最近多いのが、
朝起きると、

「そだ。
そうしよう。うん。そのとおり。」

みたく、うんうん頷いてひとり会議終了決定みたいなことが多い。

寝ている間にアッチの世界に行って、色々会議したり、
こうしろよ~ああしろよ~と言われて、
はいわかりました~って帰ってくるのかな。

そうでなかったら、起き上がった直後に、うんうんするか?

不思議です。。


そして今日のうんうんは、

「家族に対し、わたしがいなければ、わたしがしてあげなければ
この人々は大変だ~という幻を捨てなさい」

というミッションというか確信でした。


わたしの身体が硬いのも、背中がいつも凝っているのも、
やはり
責任というものを勝手にかちかち山みたく背負っているから。

わたしが動かなければ、この人たちは起きてこれない。
わたしが朝ごはん作って段取りしなければ、したくが出来ない。

でも、よく考えたら、
自分で起きてよ、起きれるよねって話だし、
朝ごはんだって、わたしが寝坊しても、ごはんよそってふりかけかければ良い話で。
水飲んでね(笑)


何か、ちゃんとした家庭たる妄想があり、
それに追いつけちゃんとしろっていう形があり、
不憫な思いをさせたくないというのもあるけど、
一番は、

わたしがいるから家庭が成り立つんだよ

ってことを、いつも証明したかったのかもな~。。と思った。


でも、昨日の続きだけど、

そんな証明しなくても、わたしは十分母親として愛されているし。
そんなことしなくても、子供達はきちんとやっていける力がある。

その力を信じること。信頼すること。
見つめて、讃えること。

それが、彼らの自立になり、わたしも楽~になる。

そのサイクルでしょうこれからは!!

ということかなと。



少し手を抜いて。
信じて放つ。

自分が愛されていることを信頼せよ。
子供の潜在能力を信頼せよ。

証明なくても、そのままで素晴らしいということを認めよ。


だから今日は、
起こすといつもぶーたれて起きてくるゆきおに対し、
ちょっと声掛けを減らして、自分のことやってた。

そうしたら、トコトコ起きてきて、
気持ちよく学校に行った。

どうよこれ。


ええ感じや~ん(*´∀`*)


信頼して放つことと
放任とはまた少し違うよね。


少しずつ、
少しずつ。

出来ることだけ、してみよう。

そうしている間も、みんな愛されているからね(*´∀`*)


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厄日と夢と・・

2015-03-07 11:27:10 | 気付き
昨日は厄日でした。

9時からの梱包作業。

朝家を出たら、バス停にバスが止まってて、時間調整してる。
目の前から、運転手のあたり凝視しながら走っていくのに、
あと10メートルでドア閉めて発進っておい・・

作業は、一人で休憩なし、昼飯抜きで、4時までかかり、
あとから来た若い配送員からは、偉そうにとんちんかんなことを聞かれ、答えたら、
「はあん。。それ、決まりなんすかね。。」
だとよ。
だとよ。
(ちなみに会社に確認済み。okでした。)

しかもそいつに仕事押し付けられそうになり、その家にいた、孫を迎えに来て待っているお父さんが勝手に人の靴を履いて玄関ウロウロし(笑)




どしたの!!!!


ってくらい。


その家の若いママも、基本的に自分のために人が動いているということを、
全く感じる機能の無いタイプで、叔母に対しても父親に対しても、有難うという気持ちが反応しない人。
それは、もうしょうがないね。そういうタイプは、そういうタイプなんで、腹も立たなかった。
でも、そのおかげで、

こういう人間のために、身体を張ってやる仕事ではない。
って正直思った。


おまけで、帰りのバスの運転手は、
あと2秒で死ぬ・・というような悶え声で、
最初から最後まで何言ってんだかわからない。
ここまで来たら笑ったわ。


その前の日は、実家の絨毯を敷くということで、ピアノ持ち上げたりして、
みんな仲良く筋肉痛になって、バンテリン。でも親が喜んでくれてよかった。これはホントに楽しかったよ。

しかし、その次の日に、こんな流れかいって思ってたの。


帰ったら、長男が反抗し、
かなりヒートアップして、かつて言われたことのないことも言われ。

夜のドライブ。
なんだかなあって涙が出てくる。



そして、寝たその日の夢。。


大きく、
「自分」

と書かれた大きな色紙。


そして、言葉が聞こえた。

「あなたは、いつも人のことばかり。
でもこれからは、自分中心でいいんです。
人のお世話をして、頑張って、それでこの結果です。


これからは、自分のことを第一に、
自分を癒してあげてください。
楽しませるのです。」



言いたいことはわかった。
でも、こんなにゴンゴン殴ることないでしょ~。


はじめ人間ギャートルズみたく、
頭にたんこぶいっぱい出来たじょ~。。




なんか今日洗濯物干しながらさ、
天使に文句言ったよ。



「あのね。
こんなふうにして気づかせてくれなくていいです。
ほんと・・今回ムカつきました。
不愉快です。」




でもね、もうひとつの声も聞こえる。


あんたのような強情な人は、
これくらいしなきゃ、わかんないでしょ。
知ってるでしょ。(笑)

って(^-^)



生き方。


人のため、大好き。
身体を人のために活かしてもらってます、大好き。


でも、それも、
本当の自分は、疲れてたんだね。

もういいよ~って。

そんなことしなくても、
愛されてるでしょ。
知ってるでしょ。
酷使する必要ないでしょ~って。


長男が言ってくれた、
酷い一言。

でも、その生き方をフェードアウトしていくために
言ってくれたのかな。


あまりにも嫌な一日だったから、
まだ傷があるけど、


そんなことだろうなーと思ったのでした。。

今日はゆっくりしよ。


皆さんも良い休日を☆.。.:*・











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相手への執着を解く方法

2015-03-02 09:52:48 | 気付き
昨日の続きになりますが、相手への想いは、軽く明るいものは祝福の波動になって
関係も良くなるのを重々承知でいるのに、この一週間ほど続く、相手への想いは、いつの間にか
わたしの中に重しのようにのしかかった状態で、とても苦しかったのです。
でも、そこで見えてきたのは、わたしが私自身で抱える、自分への自信の無さでした。
奢りと本当の自尊心とはまた別のことで、奢りは自分を条件付けで愛すること。
でも、本当の自尊心は、生まれながらにして持つものであり、それはどんなことがあっても
どんなことをされても、しても、珠玉の玉のように据え付けられているものだと思います。
それを本当に直視出来たなら、相手がどう、こうしてくれない、と思う前に
あまり気にならなくなる。究極な表現で言うと、
一人でもいい。と思えること、一人でも生きていけるんだ、わたしは。と思えること。
奢りは条件付きなので、それが時間がたって薄れたり、忘れられたりすると、とたんにまた、補充しなくてはと焦るような、形の無いものだと思います。
そのことを、他人が教えてくれる。そして、それに気付き、乗り越えると、もうなんだか気にならない。
だから、反対に言うと、
気になること、気になる人、どうしてもモヤモヤするということは、
乗り越えられる時がきましたよ~という合図なのかもしれません。

よっしゃ~じっくり取り組んでやろう。
どこがどうこんがらがっているのか。
それは、相手に対して、相手がどうこんがらがっているのかではなく、
自分が、どうこんがらがっているのか、もう頭を出していて、そこを触られると痛いということを
直視しても、あなたは大丈夫。そんだけ強くなったから、見てごらんよってこと。
それが、意外とシンプルなことにあり、
ウイークポイント=癒しポイントであり、
わたしの場合は、ダメな子と思われたくないとか、コミュニケーション下手と思われたくないとか、
人に対して気を遣う自分から脱却したいという疲弊した想いだとか、
そういうことでした。

変わるという時期。
それは、ハンドルを大きく動かすという時期で、
それはどうしても、自分だけでは促せない。
他人の介入があって、はじめて重い腰を浮かすということだと思ったら、
やっぱり困ったちゃんと思う人って、必要なのかもしれないと思いました。

そして、自分のその、痛い部分に気付き、
はぁ~そうだったんだね。わたしはここが泣きたいほど辛かったんだ。
そう思われたくなかったよね。こうしたいよね。
じゃあ、こうしていけばいいね。ゆっくりでいいからねって
自分と対話することで、傷もゆっくり癒えたりしていくのかなと思います。

跳び箱をよじ登り、ゆっくり降りた時、
また少し違う感慨があったり、気持ちが軽くなっていたり、
色々。それが現実に投影されて、相手との関係がもっと軽やかになったり、
お役を終えた人は離れていったり、正直に現実投影されていくということかな。


全部自分なんですね。
そう思うと、とても楽。
だって、他人と話し合わなくても、自分で全部完結できるんだもん。

他人は変えられない。

戦いは、勝ち負けは、調和とはまた違うし。

悟ればいいんだよね。
悟るって、軽くなるってことで、あまり大きい意味は無いように思う。

そして、軽くなってふんわり浮くと、その人と同じところにはいられないし、
自分に合った人との出会いがある。
そういうことって、本当に正直に投影されてくると感じます(^-^)

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