私たちが霊性修行をする上で、最大の障害となるのは宗派心である。神には形がないと信じる人々は、形のある神を信じることを幻想だと言い、聖者はただの人間であるという。
それではなぜ彼らは聖者の前で頭を垂れ、ダクシナを捧げるのか?他の宗派に属する人々はまた反対意見を述べる。「なぜ彼らは自分たちのグルを離れて、他の聖者たちに頭を下げて忠誠を誓うのか?」サイババについても似たような反論が今も昔も聞かれる。
シルディに来た人々にババはダクシナを求めるが、こんな風に聖者が金を集めるのは良いことなのかという人がいる。そのような真似をする聖者とは一体何なのか?だが冷やかしでシルディに行ったはずの人々が、そこに留まって祈り続けた例は数多くある。そのような例を2つばかり挙げてみよう。