真理は厳しいもの、自然界に存在する人間への掟はまことに厳しい。しかも、
これは人間が誕生した千古(せんこ)より変わらず、久遠(くおん)の昔から
永遠の未来まで、証(あかし)として実在しているのであります。
真理は、「お前は、そういう場合だから特別に考えてあげよう。まあとにかく、
今度機嫌が良い時に教えて頂いたようにしなさい」という事はあり得ないので
あります。
真理は峻厳(しゅんげん)にして侵すべからず。間違った事実を自分の都合の良い
方に解釈する生き方に対する正しい心構えが万が一にも用意されないと、たち
まち、事実が私たちに反省を促します。
その反省として表面に現れてくる事実が「病なり不運」なのです。