癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO494・・・東の国

2016-03-10 | 悟り

 

             東方の国

 

インドに行くと、日本は東にある国だから、霊性能力が高いと言われる。「なぜ東の国だから高いのですか?」と生徒が問うが明確な答えは返って来ない。当たり前である。インドに行くという事はヒンドゥ教かバラモン教かシーク教などの聖者を求めて行くわけだから明確な答えが返って来ないのである。

 

 

仏教では、インドから見たら日本は東にある国である。日本からインドを見れば西にある。であるから、死んだ後向かう場所は西にあるインドのブッダガヤに49日間かけて魂は帰るのである。ブッダガヤは仏教の聖地であるからである。であるから、この地を西方浄土というのである。

 

この世は陰と陽の二極のエネルギーにおいて、バランスを取りながら運行されていると言われる。陰が陽を支え、その陰のエネルギーのお陰で陽は精力的に活動することが出来る。人間の肉体は、決して表に出ることのない魂のエネルギーで動かすことが出来る。奥様は旦那様を支える事によって、旦那様は外で7人の敵と戦う事が出来る。奥にしとやかに籠っているから奥様と言うのである。静脈は血液を肺に戻し、新しい酸素を与え陽である血液にエネルギーを与える。これが真理である。

 

これをインドと日本で考えてみたい。なぜ鑑真和尚は危険を冒してまで日本に仏教を持ち込んだのか?その時、仏教において、とても貴重な国宝級の法具を持ってきたのか?  空海さんは、何故中国から一切合切の教えと法具を持ち帰ることが出来たのか?

 

一見謎に見えるが、釈尊の意思が思いがそうさせたのであろう。西は東を支えることによってバランスが保たれる。ブッダは百も承知していたのである。仏教を広げるには、西ではなく東からであることを知っていたのである。であるから、中庸の場所に位置する中国は西と東の橋渡しを行ったのであろう。

 

こう考えれば物事はスムーズに解決するのであります。釈尊の教えは日本で花開いたのであり、ブッダである釈尊は日本にも来ているのである。もちろん肉体を持つ釈尊ではなく、死後魂が来ているのである。ある時の鑑真和尚の説法はまるでブッダが乗り移ったように人々を魅了させたという。

 

生存中の釈尊の時代は、とても日本に来れる時代ではなく。時が来るのを待っていたのであろう。死後500年600年を経った後、やっと日本の地を踏むことが出来たのである。鑑真が日本に持ち込んだ目録の中に仏舎利30粒と記載されている。ちなみに空海さんは80粒の仏舎利を日本に持ち帰ったと記載されている。他に三蔵法師玄奘も持ち帰っていますが、このことには、そのうちに書きたいと思っています。

 

この空海さんが持ち帰った仏舎利は、その後どういうわけか、一部が「後白河法皇」の手に渡り、今の仏教の原型が定着したのである。時は、「他力本願」を広める、親鸞聖人が活躍を始めた時代であろう。六波羅蜜の教えなどもこの時代である。また仏舎利の他に、釈尊の命と言われるマニ宝珠も持ち込まれている事が考えられるのであります。これこそが釈尊そのものと考えられる。マニ宝珠とは、釈尊の亡骸の頭の中から見つかったといわれており、霊験が現れる宝珠であり、思うままの事が叶うと言われている白い玉であります。

 

このように貴重な物はすべて日本に持ち込まれているゆえ、ミャンマーやタイやチベットやスリランカ等には仏舎利は存在しないというのが通説であり、法力の事は語りつがれていないのであります。近年中国政府からレプリカの仏舎利がミャンマーやタイやスリランカに寄贈され、多くの仏舎利塔が建立されだしたと報道されたのであります。が、中身は精巧に作られたレプリカの仏舎利であります。※ミラレパが起こした、チベットの法力は土着宗教から発展したものと言われています。

 

つまり全ての仏舎利は、日本にあるか、当時、価値のわからなかったインドのお寺のどこかに埋もれている可能性が大であり、偶然廃寺から見つかった仏舎利は、ネルー首相により日本に寄贈されたと歴史に刻まれているのであります。このような事から、今後も日本はインドに経済的にも精神的にも支えられる事が予言出来るのであります。奇しくも、今日のニュースにインドで作られたスズキの車が日本で販売される事になったと報じられていたのであります。中国政府がミャンマー等に寄贈したレプリカの仏舎利も日本にも持ち込まれているようです。

 

 

 

仏舎利の代替品

補足(ウイキペディアより)

 

仏舎利とは本来、釈迦の遺骨・遺灰・毛髪等であり、このような仏舎利を「真舎利」「真身舎利」という。 しかし真舎利は入手が困難であり、数も限られてくるので、各国で仏舎利の代替品を塔に納めるようになる。

 

一つは遺骨によく似た宝石や貴石等を代替品とする例であり、 日本では特に津軽地方の母衣月(ほろづき)の舎利浜(現在の青森県今別町袰月)やその周辺の海岸で採れる翡翠石英を、仏舎利とみなして古くから珍重した。

 

浄書した経典を仏舎利とみなして塔に納めることもある。このような例を「法舎利」「法身舎利」という。 法隆寺百万塔陀羅尼も法舎利信仰の一つである。

 

 

 

 


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