まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

映画「おくりびと」に思う

2009-04-18 19:27:18 | 建築・都市・あれこれ  Essay

Photo_2 Photo Photo_5 左:鳥海山

中:月山

右:主人公が通う銭湯、鶴の湯

 

 

映画「おくりびと」が外国語映画部門アカデミー賞に輝き、撮影地である庄内に注目が集まっている。映画の主人公はプロ奏者として生きる夢が破れ失意の内に帰郷したチェロ奏者。主人公が、故郷の代わらぬ風景や人々の暮らしのなかで、納棺師という職業に意味を見出し、前向きに生きる気持ちを取り戻すという一種の魂の癒し、再生の物語である。

庄内の厳しく美しい自然や、独自の死生観に裏付けられた精神風土がこの映画の重要な背景をなしている。しかし、もうひとつ忘れてならない要素がある。それは主人公が帰ってきたときに、自然環境だけでなく生まれ育ったふるさとの暮らしの環境(Built Environment)がそのまま残っていたということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公は自分が育った家で再び暮らす。彼は生家の空間を再体験することやそこにあるモノを通して昔の自分の夢や家族の思いと再会する。また、旧友は温かく受け入れてくれなかったが友の実家の銭湯の空間は変わっていない。そこはまちの人々が疲れを癒す場であり、昔通りの生活のリズムがあり、主人公はそのリズムに再び同期(シンクロナイズ)する。主人公は自己形成期の彼を定位するよりどころであった環境に抱かれ、本来自分が帰属するべき環境・風景を再発見することで再生を果たしたのである。

 

 

 

美しい自然環境だけではなく、人々が暮らしの中でつくってきた環境とその表れとしての風景が残っていることが、撮影地として庄内が選ばれた理由でもあろう。この風景が文化を超えた理解と共感を呼ぶことは、今回のアカデミー賞が証明している。しかし、主人公の幼馴染みが前述の銭湯を壊して建て替えようとしていることに象徴されるようにこの風景はいまや失われようとしている。残念な逆説ではあるが、そのことがさらに多くの人々の共感を誘ったともいえよう。

映画に描かれたような「自然風土の中で人々の暮らしが営々と創りあげてきた固有の環境・風景」が変わらずそこにあることで、私たちは自分や自分たちのまちのよってきたるところを確認できる。自分のアイデンティティのよりどころとなる環境や風景に、ひとは帰属意識を持つことが出来る。変わらないふるさとの風景には安心して帰属感を抱く。反対に、自分のいる場所が常に変わり続け、落ち着いたイメージとして像を結ばない場合には、わたしたちは知らない町にいるのと同じで道に迷い(be lost)、自己を定位するよりどころを失う。

グローバルな世界になればなるほど人々はローカルな自分たちの場所への帰属を必要とする。その場所を、自分たちが安心して帰属できるものとするためには、受け継がれてきた固有の環境・風景を尊重・継承しなければならない。建築家や都市環境デザイナーの創造活動もその延長上に位置づけていくことが求められている。またその様な創造活動こそがまち固有の魅力形成につながっていくであろう。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


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