まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

Lec9 中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景ー

2024-06-08 22:05:46 | 地域風景の構想 design our place

中心部の風景

 地方都市における中心部の疲弊が激しいことは誰もが実感していることと思います。私がこの数十年深くかかわっている山形県庄内の中心都市である鶴岡市や酒田市なども同様です。

 都市全域で人口が減少するだけでなく、車での生活を前提とする若い世代はどんどん郊外の車で移動しやすい住宅地に移っていくので、中心部は老齢化が進むと同時に、都市の中でも最も人口減少が著しい地域となります。また買い物は週日も週末も郊外の大規模なショッピングセンターや幹線道路沿いに並ぶ専門店となるので、例えば鶴岡のような城下町では、江戸時代から続く商店街も、今や商店街と呼ぶのをためらわざるを得ないような状況です。

 また、お城の周りの武家地の一部は公共施設用地となりますが、多くはお屋敷として良好な住宅地をまちの中に形成していました。しかし狭く鍵の手に曲がる車では使いにくい道路網を持つ屋敷地は、若い世代には敬遠され、手入れのされないうっそうと緑に覆われたさみしいお屋敷街になりつつあります。

 これまで、多くの地方都市では、お城、その周りの武家地、町人地(商業地)、寺社地というまちの構造が引き継がれてきました。そしてそこに人がくらし、日常でもまたお祭りなどの晴れの場でも、様々な活動を積み重ねてきたこと、それが人々の記憶や物語となり、まちの構造とともに、受け継がれてきました。そういった目に見えるものと見えないものが相まって、自分たちがここに生まれ、ここに帰属しているという意識を生んでいたのだと思います。

 ところが、中心部から人が去り、くらしの環境としての実態を失うことで、まちの姿は失われ、それとともに人々の記憶も薄れ、まちへの結びつきも薄まってしまいます。

 住み、暮らす場としての中心部はどうすれば維持されるのでしょうか。

「中心部再生」や「歩いてくらせるまち」は行政のエクスキューズ?

 このような状況の中で、「中心部再生」や「歩いて暮らせるまちづくり」(ウォーカブルシティ)が日本全国で標榜されています。

 地方都市においては、今でも働く場所や学校の多くは中心部にあります。そのため郊外から車で中心部に通勤する人も多いので、朝夕は渋滞します。渋滞するのはある意味では「歩いて暮らせるまちづくり」のチャンスです。それを機に、中心部と郊外の移動を公共交通で行い、中心部では歩いて活動することを選択してもよいのです。しかし、実際には中心部でも道路を拡幅して、郊外からの車の円滑な流入を進めています。道路の拡幅工事で多くの歴史資産が壊されている光景もしばしば目にします。

 スローガンとは裏腹に、実際に行われていることは、車で便利に暮らせるまちづくり、あるいは車でないと暮らせないまちづくりです。「歩いて暮らせるまちづくり」などのスローガンは、政府の地方創生の方針に沿っていることをアピールする手段以上のものにはなっていないのが実状でしょう。もし本気で「歩いて暮らせるまちづくり」に取り組むのであれば、行政職員だけでも、自家用車通勤をなくすべきでしょう。そういう試みに挑戦することを通して、様々な課題が見えてくると思います。隗より始めよです。

 現実はこのような状況です。まちの中に増えるのは空き家、空き地そして駐車場です。

 行政が本気で中心部再生に取り組んでいない原因は、まちに住み、歩いてくらすという暮らしと、それを支えるまちの姿のイメージが見えていないことにあると思います。言い換えるとまちなかに住み、暮らす「良いイメージ」、魅力ある中心部のイメージが市民に共有されない限り、行政も本気になることはないでしょう。

まちらしい生活とは何か、中心部に暮らす楽しさ

  中心部再生に向けて、基本となるのは多くの人に中心部に住んでもらうことです。人が住んでいないことには、中心部の再生もなにも始まりません。これには、公共交通整備とそれにリンクした居住誘導施策が必要ですが、それに加えて、まちが、住み暮らす場として魅力的であることが必要です。そのために今のさみしいまちを活性化することが求められるのですが、まちの中に昭和の時代のような商店街を中心とした賑わいを求めるのは現実的ではありません。活性化=商業的賑わい(Revitalization)ではなく、生き生きとしたくらしの場所をつくること(Activation)を目指したほうが良いと思います。まちに楽しく暮らすとはどういうことなのか、少し具体的に考える必要があります。

住み、働き、学び・楽しみ・交流する場所としてのまち 

 まず住まいです。これについては、別にきちんと考えないといけない大きなテーマですが、私の中で、鶴岡市や酒田市の中心部の居住イメージとしてあるのが、街区の中央部にコモンズを持った住まいの集合です。鶴岡も酒田も歴史的な市街地構造を持っており、基本は町家が並ぶ 短冊状の敷地で中心部ができています。中心部には共有の空き地である会所地があり、バックヤード、オープンスペースとして機能していました。昔の町家に戻すことはできませんが、敷地割りを活かしたまま、背後の共有コモンズを共同の駐車場や子供の遊び場などにした集合のあり方を考えています。コモンズの形は整形ではなく、へびたま状のものになるでしょう。コモンズは駐車場にもなりますが、一人一台という現状のままでは無理で、一家族一台に限定します。働く場が中心部にあり、徒歩や自転車、あるいは現在好評の循環バスなどを利用して通勤するというライフスタイルを想定しています(イオンへの買い物やレクリエーションに車が使われることまでは制限できません)。

 働く場所は、すでにあるものに加えて中心部に多くある空き家の活用をイメージしています。若い人たちが小さなお店をつくったり、コワーキングスペースにしたりとすでに、モデルはたくさんあります。中心部に、可能性のあるスペースが多く用意されています。

 そして学び・楽しみ・交流する場所です。まちの魅力の一つは、郊外や農村地域にはない、まちらしい刺激やアクティヴィティが濃密な空間が多くあるということです。鶴岡の生んだ小説家藤沢周平氏の文章の中にとても印象に残る一節がありました。鶴岡の郊外に住んでいた小菅留治(藤沢周平)少年の楽しみが、親戚に連れられて、時々訪れるまちの中で書棚一杯の本に触れることだったというのです。まちというのは日常生活にあって、ほんの小さな晴れの場、知的な刺激、楽しみに満ちた晴れの場所だったのです。

 まちらしさや、目指すべきまちの魅力を簡単に規定することはできませんが、その一つには、文化的なものとの接触機会の多さにあると思います。小菅留治少年が感じていたように、村で壁いっぱいの図書館を維持するのは無理です。どうしてもそれはまちの役割です。

 また、仕事についても新しいアイデアで新しいものを生みだすのは、様々な知の交わる場所であるまちの役割だと思います。例えば、大学の知、専門家の知、職人の知、生活者の知など様々なものが接触し、新しい知を生んでいくのがまちです。伝統的な技術や職人の技と、革新的なテクノロジーが出会うことも期待できます。

 上のような機能を持つ場所として、文化的コモンズが必要だと思います。文化的なコモンズとは「文化的なつながりを求めて人々が集まれる場所」(地域創造 2014)で、復興から立ち上がる東北の地でも不可欠なものであったことが論じられています。美術館や劇場や映画館、コンサートホール、大学、図書館、イベント会場、公民館、そして飲食施設なども加えてよいと思います。

 また広場も文化的コモンズです。先日コンパクトシティとして成功している富山市を訪れましたが、商店街のど真ん中の一等地にだれもが集まれる広場を設けています。また以前は広い自動車通りであった大手通を細長い広場スペース・大手モールとしてそれに面する複合文化施設・富山市民プラザの前広場と一体的に活用しています(この二つは建築家槇文彦氏の提案によるもので、私も以前槇事務所の所員として担当したので思い出深いものです)。 

 以上のような施設はすでに、鶴岡や酒田の中心部にはあると思います。課題はこういった施設をアクティベイトして、みんなの居場所となるようにしていくことです。こういったことを通じて、中心部を文化的な刺激に満ちた場所として、再生するのが一つの道筋だと思います。

歴史的建築を文化的コモンズに再生すること

 中心部は、そのまちの歴史や物語を体験し、まちの歴史文化的なアイデンティティ確認の場所といえます。そのためには歴史的建築や、まち並み、お祭り、またさまざまな習俗や季節ごとの行事や作法などが中心部に残っていないといけません。歴史的なものが残っていない中心部には魅力がないでしょう。ノートルダム寺院のないシテ島は、想像できません。

 私は、中心部に文化的コモンズを増やしていくうえで、歴史的建築を活用していくことが、大きな効果を生むと期待しています。歴史的建築での多様なものの交流の中から新しいものを生まれていくことが、そのまちらしい活力を生むことでしょう。

 そういった歴史的建築の文化的コモンズへの再生は、公共が担うこだけでなく、民間が担うこともあり得ます。社会的課題を企業的視点で解決する社会的企業がその主体になることもあると思います。またもう少し小さな場では、「個人が作るパブリックスペース」的な発想で活動する若者もいるので、そういったか都度にも期待したいものです。大資本がかかわる中心部再生とは全く異なる新しい中心部の風景が生まれるのではないでしょうか。

 

参考文献

佐々木秀彦2024『文化的コモンズー文化施設が作る交響圏』みすず書房

田中元子2017『マイパブリックとグランドレベル』晶文社

(財)地域創造2014『災後における地域の公立文化施設の役割に関する調査研究報告書ー文化的コモンズの形成に向けてー』(財)地域創造

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所/TAKATANI STUDIO

 

 

 

 

 

 

 

 



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