まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

Lec.4 土地と対話する建築:地域に根差す風景

2023-06-08 17:48:14 | 地域風景の構想 design our place

Lec.4 土地と対話する建築:地域に根差す風景

1.地域らしい風景

 前章では、私たちの廻りにある建築を長く使い続けていくことや新しくつくる場合にも長く地域で愛されるものをつくっていくことの大切さを述べました。長くそこにあり、風土の中で人々の暮らしと関わっていくことが、建築が地域風景の一部となるには必要なことです。

 本章では、長くそこにあり大切にされる建築であるための一つの方法として、地域の文脈に十分配慮しながら、つくっていくということについて考えてみます。

 

土地の自然的条件や、場所の歴史、文化的な特性を考慮すること

幹線道路沿道のチェーン店やコンビニの風景は、日本中どこに行っても同様です。また郊外の住宅地にも、同じような新建材を張り巡らせ、前面に車が駐車する光景が広がっています。どこででも同じように見える常に「新品できれいな」風景には、深みや味わいが感じられません。

しかし注意深く目を凝らしてみると、地域にはそれぞれの歴史がありそれはその自然的条件と深く結びついています。またそれぞれの地域には、産物があり、それを生かしたいとなみや、その容れ物としての建築の連なる町並みがあったのです。そういった、自然風土の特徴や歴的な営みのもたらした痕跡などはどこかに刻み込まれており、そういったものに配慮することを、土地や場所の文脈(コンテクスト)を読むと表現します。私は、文脈を丁寧に読み取り、取り入れるにせよ、対比させるにせよ、きちんと文脈と向き合うことが、地域風景につながる建築に至る一つの方法だと思っています。

 

モダニズムは土地や場所からも自由

20世紀初頭に生まれた建築のモダニズムは、2つの自由を建築家に与えたと思います。一つは、定められた様式からの自由です。幾何学に基づき、建築家は自由に線を引く自由を得ました。さらにモダニズム建築は機械(自動車)と同じように土地の制約から自由であろうとしました。コルビュジェの提唱した「近代建築の5原則」の一つピロティは土地の持つ様々な条件や制約からの自由を象徴しています。土地から自由になり、ユニバーサルにとらえることで、陸屋根の白い箱の幾何学によるインターナショナルスタイルはCIAMの機能的都市イメージとともに世界を席巻することができたのでしょう。

 

新築も地域の一部を改修すること

モダニズムをの洗礼を受けた設計者は、土地の制約や様式の制約から逃れ、自由な造形を展開したい、また独自の造形的オリジナリティを織り込みたいという思いをいだきます。その思いは大切にしたいと思います。しかし同時に、新築ではあっても少し俯瞰してみれば地域環境の一部修復であるという意識も大切だと思います。

部分の修復と考えれば、部分を包摂する全体や、隣接する部分がどのような文脈を持っているのかが気になります。何もない更地、タブララサに線を引くうえでも、全体のことを十分に勉強しておく必要があります。隣との関係も大切にしないといけません。土地に刻まれた歴史や地域の様々な特徴を知り、レスペクトしたうえで、設計者の腕を振るうことが、建築としての豊かさを獲得することにつながると思います。そこには新たな個性や土地らしさ、ひいては地域風景が生まれる可能性も生まれるのではないでしょうか。

 

2.どうやって土地や場所の声を聴くのか

(1)土地には霊が宿っている

土地には霊が宿る

土地は地形の一部であり、自然とつながるものです。気候、風土が生み出したものとも言えます。その土地の上に積み重ねられた人々の営みが、その場所の風景を形作っています。自然あるいは大地の一部としての土地には、先人の思いや活動が刻まれており、私たちは父系を通して、その歴史や物語を読み取ることができます。

土地には霊が宿るという考えは古今東西の文化に共通です。私たちは建築をつくるときに地鎮祭を行います。土地の神様に挨拶するのです。設計者は地鎮祭の折に、神様に聞こえるように「声を上げて」神事を行います。また棟上げの時も大工は大きな声で天に向けて報告します。

迷信と片付けることも可能ですが、建築やまちづくりにおいて、土地の声に謙虚に耳を傾けることが、様々な意味が多重に満ちた、より深みのある風景づくりにつながるように思えます。

 

(2)まちの中はコンテクストがあふれている

場所の意味を希薄にする車での移動

車の移動を前提にすれば、土地の微妙な高低差や、土地に刻まれた歴史や物語は体験できません。車で移動しているときにその身体感覚でその土地とつながるのは難しいでしょう。ましてやカーナビで移動している場合はなおさらです。 道端の地蔵がどういう意味を持つのかを考える以前に、車の移動ではそういうものは見えません。

車により場所の差異がなくなってきています。本来人間はその場所との関係性の中で、自分を位置付けるものです。「ここはどこ?」というのは「私は誰?」ということとほぼ同じ問いかけです。しかし現実には場所の差異がどんどんなくなっているのです。

また車の生活では郊外に住んでも中心部に住んでも無関係なので、中心部の意味が薄くなっていきます。また中心部には中心部の佇まい、華やかさがあった郊外にはないものそういう違いがどんどんなくなっていっている。中心部ににぎわいが消えることも深刻な課題ですが同時に場所の意味や濃度感も失われているのです。

車で立ち寄り、店に入ってすぐにまた車に乗って移動することを前提に土地らしさ、地域らしさにこだわると、ともすれば観光施設的なキッチュに陥ります。土産ショップ的な建築となります。

 

歩いて土地のことを知る

土地あるいは地域の条件に向き合いためには、まず歩くことが必要です。一旦、町を歩き始めるとまちはタブララサではないことに気づきます。都市の歴史や、文化的なアイデンティティが刻印されている。

テレビでブラタモリという番組が人気を博しています。まちや地域の来歴や今ある姿の成り立ちを、タレントのタモリが解き明かしていくという筋立てですが、まさにブラっと歩くことで、今まで見えていなかったその土地の記憶を再発見していくことが面白いのです。歩きながら微妙な土地の高低差を感じたり、道がわずかに折れ曲がっていることを発見し、そこに土地の歴史を見るのです。人間の身体性を通して、過去の歴史や文化とつながっているのだと思います。

よく言われることですが、鶴岡や酒田において城下町、湊町の基本構造は変わっていません。もともとまちの構造は地形にも対応しています。また表層に見えるものや、物理的条件だけではなく、人々の信仰や言い伝え、作法、お祭りなどを彷彿させる手がかりが土地に根付いていることもあります。私たちが見ている風景のなかには人々の営みと時間の刻印が押されています。

 場所にこだわった建築をつくるということは、歩いて暮らすまちをつくるということにもつながっているように思います。

 

読み取り方を深める必要性

歩く中で気づくコンテクストもありますが、まちや都市の空間をどのように読み解くのかということについては多くの建築家や研究者の言及も役に立ちます。

建築家槇文彦は、『見えがくれする都市』所収の「都市を見る」という論文においてアメリカの都市学者ケビン、リンチが『都市のイメージ』において提唱し、世界中の建築・都市関係者が用いる都市の読み取り方では、アメリカの都市は読み取れるにしても、日本の都市空間を読み解くことは難しいことを指摘します。そのうえで槇文彦は「奥の思想」において「奥」という空間概念で、日本の都市空間をより文化的に深く読み取ることができることを明らかにしています。同じ本の中で、若月幸敏は、日本の都市がわずかな微地形との対応でまちをつくってきたこと、そして大野秀敏はまちの表層に着目することで日本的な空間の仕切り方や領域構造が読み取れることを指摘しています。また私は「道の構図」と題するエッセイを通して、歴史的な道のパターンの中に、日本的な領域感や空間意識が深く投影されていることを指摘しています。

このような様々な見方により、私たちが暮らすまちの空間の意味がより明確になってくるということだと思います。

同様な研究は、伊藤ていじほかの『日本の都市空間』を嚆矢として、芦原義信の『まち並の美学』、陣内秀信氏の『東京の空間人類学』、文化人類学者エドワードホールの『かくれた次元』など多岐にわたるものです。また『東京の原風景』(奥野健男)や『都市空間の中の文学』(前田愛)など文学者の視点からの読み解きも深く、まちを読み取りたいという時には大変有効だろうと思います。

 

(3)建築をつくることは土地と一体になった新たな環境、風景をつくること

土地のコンテクストを丁寧に読んで建築をつくるのが基本です。ただ、別の見方をすると、建築がつくられることでその建築と土地が合わさって新たなコンテクストが生まれるとも考えられます。

フランクロイドライトは「建築は土地の上に建つのではなく、土地そのものになるべきだ」といっていたそうです。初期のプレーリーハウスを見ても建築が、その土地と一体的な存在感を獲得していることを感じます。アメリカの大草原という地域性がプレーリーハウスを生み出しているともいえます。ライトが活躍した20世紀初頭は、白い箱型のインターナショナルスタイルが時代をリードし始めようとしていた時期です。そのときにあって、彼はまさに土地の条件に向き合い地域の特性にふさわしい、その場所らしい建築を作り上げたのです。彼が生涯に作り上げた300を超える住宅作品のほとんどが現存しているというところにも関係しているのではないでしょうか。

庄内にある土門拳美術館(谷口吉生)も、土地になりきるあるいは土地に根差した風景を新たに作り出しているように思える建物です。鉄とガラスとコンクリ―トを幾何学的な造形で組み立てるといういわゆるモダニズムの建築の方法でも、土地と一体の素晴らしい風景をつくり出すことができることを示しています。

この建築を見ると、建築をつくることは場所の特性に従うだけでなく、場所の可能性、潜在的な魅力を顕在化させることでもあることに気づかされます。

同様な思いをいだくのが、瀬戸内民俗資料館(香川県、山本忠治設計)です。この建物が、海を見渡す丘であるというその土地の特性を浮かび上がらせました。また建築内部を上り下りしながら、歴史的展示品と周辺の自然を同時に体験することで、その土地とともに私たちの暮らしがあったのだという歴史についても考えさせられます。建築は私たちに、土地のコンテクストを教えてくれるものでもあるといえるのではないでしょうか。

 

3.事例研究その1 藤沢周平記念館: 地域の鞘堂建築に学ぶ

 

4.事例研究その2 庄内町ギャラリー温泉町湯:町家建築の共同湯

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design


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