まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

府中市第2回景観賞の記念シンポジウムにて

2009-10-06 23:20:48 | 講義・レクチャー Lecture

 

 

私は府中市の景観審議会や景観賞選考委員会を委員としてお手伝いをしています。

昨日(104日)の都市の日を記念しての府中市主催のシンポジウムで話す機会を与えられたので、おおむね次のようなお話をさせていただきました。ここに概要を記します。

 

私は建築を設計することを仕事にしています。そんなこともあり私が関心を持っているのは一つ一つの敷地での建築活動の集積として町並みや景観がよい方向に変わっていくことです。建物を作ったり庭を造ったりするプロセスを通じて、人々の居心地よく感じたり、働いたりできる環境が少しずつ増えていくことを望んでいます。本日の景観賞にも保全部門、育成部門などいろいろありますが、どちらかというと創出部門に主にかかわるといってよいでしょう。

 

その思いから、景観作りに取り組む自治体や市民の皆さんとともに、活動してきました。考えてみると初めて景観条例に基づく景観協議に参加したのは1990年ごろですから20年近く続いていることになります。景観法の施行は2004年ですが、多くの自治体では独自に景観の問題に取り組んでいたわけです。

 

では、意識的に取り組み始めて私が知るだけでも20年以上の年月がたっているわけですから、悪い悪いといわれ続けてきた私たちの国の景観は飛躍的に進歩を遂げたのでしょうか。残念ながらそうではありません。本日受賞されたような立派なとりくみも多くはなっていますがその一方で、逆に悪くなっているのではないかと言った現実も散見されます。今日の景観賞でも、本来ならもっと新しい建物による優れた町並みが出てきてもよかったはずです。府中市でも甲州街道沿いは府中マンハッタンと呼ばれるほどマンションで古い街道筋の景観が置き換わっていますが、どうでしょうか、以前の町並みよりよくなっているのでしょうか。

 

本日は景観賞の授賞式でおめでたい席ですが、苦言も含めて私がこの10数年間の取り組みで感じていることを3点述べさせていただきます。

 

1.     景観構成の基礎になる建物の基本形態-高さや全体の大きさ、敷地の中での建物の位置など―についてはあらかじめルールが必要である。よりよい景観形成はその先の議論である。

 

スライド1を見てください。

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それぞれの建物はそれなりに景観に配慮しているのだと思います。一戸建てを建てる人は立派に恥ずかしくないものを建てようと思うでしょうし、マンションにしても高く売るためにも貧相なものにはしたくないでしょう。

 

 

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しかし結果はどうでしょう(スライド1)。ここまで規模が違ったものが並ぶ(スライド2)と正直なところ美しさ云々以前といわざるを得ません。やはり規模をおおむねそろえた上で、どういうまちなみがよいのか、素材を統一したほうがよいのかどうか、調和すべき点と各自の個性に任せるべき点は何かなどの、景観についての議論が成立する法がよいということです。

 

スライド3では建築の形式が違うものが並ぶこともあらかじめ避けるべきであるということを示しています。フリースタンディング型(スライド4左)と町家型では建築の発想がまるで違います。こういったものが混在する中でなかなか景観の議論を発展させることは困難です。

 

本日の市長プレゼンテーションにあったように昭和30年前後の府中にも高い建物や規模が周辺から突出するものはほとんどなかったのでしょう。ほとんど平屋で上に積み重なって暮らすという伝統のなかったのが私たちの国です。ここで提示した問題はみんなわかっていることですが、ここらで真剣に取り組んでおかないと、個人の努力や取り組みで町の景観をよくすることはなかなかできないでしょう。

 

この問題は、景観法でも解決できるという議論がありますが、私はやはり都市計画の大きな枠組みの中で考えていくことだと思っています。

 

 

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2.あまりにも移り変わりが速くて安定した風景が形成されない。成熟した風景には時間の蓄積が必要である。

 

スライド6を見て何の写真かお分かりになる方はいらっしゃるでしょうか。アカデミー外国語部門賞を授与された映画「おくり人」の一シーンです。プロのチェロ奏者になろうとした主人公が東京での夢破れ故郷山形庄内に帰り、そこで自分の本当の心の居場所を見つけるという話です。このストーリーが成立する背景には、主人公が帰ってきたときに変わらぬ風景、まちなみがあったということがあります。ロケ地となった庄内はそういうところです。アカデミー賞に輝くということはそういった事柄に対し文化の差を越えた理解があったということでしょう。

 

 

 

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自動車のような工業製品はどんどん買い換えて最も性能のよい状態を維持していくことが必要かもしれません。しかし住宅や建築には使い続けることによって生まれる価値があります。また自分を取りかこむ安定した環境のイメージというものは人間の成長にとってまた心の安定にとって不可欠なものです。人々が心のよりどころとするに値する風景の成熟には時間が必要です。どんどん作っては壊して新しいものを求める文化からは本当の想像力も育ちにくいのではないでしょうか。風景の成熟とともに町にはいろいろな物語が生まれていくものなのです。

 

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これは社会の価値観の問題で変えていくことは簡単ではないのかもしれません。私は、おくり人のロケ地となった町で古い絹工場を映画館と市民が使うスタジオに改装するという設計を進めています。しかし、壊して新しく建てたほうが安いしい使いやすいのではないかという声が今なお聞こえてくるのです。

 

3.風景作りに地域をよく知る専門家が継続的にかかわることの必要性。

 

市民が主役の時代ですが、といって専門家の果たす役割が縮小するわけではありません。

 

ヨーロッパやアメリカで成功しているまちづくりの話を聞くと、専門家が継続的に関わっていることに気づかされます。専門家は役所の内部にいることも多く、異動することもなく専門知識を生かし景観作りのコンセプトや実際のデテールの決定にまで関わっています。

 

私たちの国の場合、役所に継続的に地域に取り組む専門家がいることはあまりありません。現状を考えると地域に住み土地をよく知る専門家にも果たすべき役割がありそうです。

 

わたしは、府中建築文化フォーラムという建築設計や都市計画の専門家のグループの一員として府中に関わっています。私自身は余り活動的なメンバーではありませんが、地域の課題に対し専門的な見地から市民にもわかりやすい提案をしていくことは重要だと考えています。

 

一例を挙げます。市長の話にもあった府中崖線です。今日も維持活動に対し表彰がなされています。この府中崖線については個人的な思いも入り混じりますがご容赦ください。

 

 

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スライド10の中で丸く示したのは私が住んできた場所です。2つありますが、共通点があります。スライド11でお分かりのようにどちらも崖線上にあるのです。

 

スライド11のような風景が私たちの子供が育った環境にあったわけです。景観に限らず建築や都市空間の計画に関わって思うこと、大事なことは都市のなかに自分が帰属意識を持てるような場所が増えていくことです。

 

 

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多くの人々によって自分の居場所として認識されている場所が、まちの中に多くあるのが望ましいでしょう。そしてそういった場所や風景が地元の人たちに大事にされているとすればこれはよそものにも心の和む共有の都市資産となります。例えばイギリスの公園。遊んでいる人もいれば、じっとベンチに座っている人もいる。みんながそこを大切に思っていることは伝わってきます。文化を超えて共感するものがあるのです。私にとって府中崖線はそんな場所だと思えます。

 

 

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しかし現実の崖線でおきていることを見てみましょう(スライド16,17)。こういった状況に対し、本来の緑と湧水の場に戻すべきだというのが正論ではあります。しかし、現実に崖の斜面は垂直に削り取られアパートやマンションができており、それらが次の建て替え期を迎えようとしています。私たちはその建て替えを契機に少しでも以前の緑と土と水を取り戻す方法を提案しました(スライド19,20,21)。

 

 

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このように現実の課題、問題に対しどういう解決がありうるのかを関係者や市民に提示して建設的な議論ができるようにていくのが専門家の役割であると思います。

 

以上、建物の建て替えを通して少しでもよいまちなみや景観を作っていこうとする活動の中で、感じていることを3点にわたって述べさせていただきました。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani