まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

鶴岡中心部と都市観光

2008-08-03 19:30:02 | 建築・都市・あれこれ  Essay

私(高谷)は鶴岡市にある東北公益文科大・大学院でまちづくりの研究・実践を院生・市民・行政の皆さんとともに行っています。そもそも私が鶴岡に初めて関わったのは93,94年の2年度に渡る中心市街地整備基本構想(馬場町地区を対象)の検討会です。小沢明先生、佐藤滋先生たちの指導の下で市職員の皆さんと基本構想をまとめました。

久しぶりにその報告書をひらいてみると、当時の熱い議論が思い起こされます。また同時に今なお通用する大事な議論がそこでなされていたことに気づきます。例えば今でこそ珍しい言葉ではありませんが、「都市観光」という言葉も使っています。観光計画の専門家である熊谷圭介氏(ラック計画研究所代表)によれば、90年代前半での「都市観光」への着目は、早いほうの事例ではないかとのこと。

そんなこともあって、当時書かれた内容を、ここで振り返ってみようと思いました。以下に再録します。

<観光地として馬場町地区をどのように捉えるか>

現在の「名所観光」「団体観光」を前提とする限り、馬場町地区を観光地として位置づけることは好ましいことではない。しかし、次に述べる新しい形態の観光としてこの場所を捉えていくことに意味を見出すべきではないか。

●名所観光から都市観光へ

余暇時代、ゆとりの時代の進展にあわせ、観光のあり方も変わろうとしている。すなわち、点在する名所を点から点へと移動していくことから、名所を含む都市そのものを味わう方向への転換である。

中心市街地にはカトリック教会、致道館、丙申堂などの歴史文化施設が城下町としての風情と、豊かな自然とともに健在である。それらの存在する町そのものが他都市の人にゆっくりと見てもらう価値のあるものである。この町には、点(スポット)型から、都市型・滞在型への質的転換を実現する条件が整っている。

●団体観光から個人観光へ

名所観光は評価が定まり、定型化された対象を定まった様式により鑑賞することに意味がある。そのため多くの人と体験を共有することが目的にかなう。観光バスによる団体観光はこの目的を満たすものである。

これに対し、都市観光は多様な対象を多様に見ていくことに意味がある。価値観を共有する少人数或いは単独で自由に対象を取捨選択しながら、また個人的な評価を下しながらまちを体験していくことがその目的にかなう。

前項の名所観光から都市観光への移行は、団体観光から個人観光への移行と併行した現象である。

●観光地としての対象地区

新しい観光のあり方を前提とした場合、観光地として地区を位置づけることは観光バスの駐車場を設けたり、観光客にぞろぞろとまちを歩かれることを甘受することを意味しない。

むしろ観光客が訪れるということは外部の人の目を通してそのまちを多角的・客観的に判断する機会をもつことであり、また異なった価値観・経験をもつ人たちとの交流の場を持つということである。

また「名所観光から都市観光へ」「団体観光から個人観光へ」という方向性は、「観光客」の求めるものとそこに住む「住民」の求めるものの境界を限りなくあいまいにするものである。豊に住むための都市空間の質の向上が、訪問者にとっての魅力の増大となっていくのである。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani