元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

偉人を大量に輩出した巨人・佐藤一斎とは何者か?

2016-02-24 10:19:08 | 日記

偉人を大量に輩出した巨人・佐藤一斎とは何者か?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10981

日本で最も偉大な教育者とは、誰か——。

まず筆頭に挙げられるのは、明治維新の志士を次々に生み出した吉田松陰だ。松陰は、尊皇攘夷運動に火をつけた高杉晋作のほかに、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などを輩出。「松陰がいなければ、明治時代は訪れなかったかもしれない」と言われるほどの影響力を持っていた。

松陰のほかにも、慶應義塾大学を創設した福澤諭吉や、サミュエル・スマイルズの『Self Help』(邦題:西国立志篇)を訳した、中村正直の名を挙げる人もいるだろう。

だが、こうした偉人にも負けず劣らずの功績を残しつつも、その名があまり知られていない人物がいる。その名は、江戸時代後期に生きた、儒学者・佐藤一斎(いっさい)だ。


◎門弟6000人の影響力

佐藤は1772年、美濃国(岐阜県)岩村藩の儒家の家系に生まれた。幼いころより、中国の古典書を愛読し、儒学者・林述斎を師として幅広い見識を学んだ。その林は後に、江戸時代の三大改革の一つ「寛政の改革」で抜てきされ、昌平坂学問所の幕府直轄化を後押しした。

師の林が亡くなると、佐藤は1841年、昌平坂学問所の儒官(総長)を拝命。朱子学だけでなく、当時、正当な学問ではないとされた陽明学にも精通したため、周囲からは『陽朱陰王』(表面では朱子学を教え、陰では陽明学を教えている、の意)と評される異才を見せる。

そんな佐藤は、思想家の横井小楠(しょうなん)や、佐久間象山(しょうざん)、教育家の中村正直などの数多くの偉人を育てた。吉田松陰も、佐藤の孫弟子に当たる。一説によれば、その門弟の数は6000人にもなるという。儒教を創始した孔子や、儒学者・伊藤仁斎の門下生が、3000人であることを考えれば、人を引きつける影響力の大きさは想像もつかない。


◎佐藤塾の「双璧」

多くの人材を輩出した佐藤だが、特に「佐藤門下の二傑」と評されるのは、佐久間象山と山田方谷(ほうこく)の2人だ。象山は、「東洋道徳・西洋芸術」を掲げ、日本の近代化に奔走した人物。そして方谷は、財政破たんに直面した備中松山藩(岡山県)を、わずか8年で財政再建に導いた凄腕だ。

そんな2人の関係を示す、こんなエピソードがある。

象山は、生まれ育った松代藩(長野県)では「神童」の誉れが高く、地元の期待を背にして昌平坂学問所に入った。その約2カ月後に、方谷が入門すると、瞬く間に塾長に上り詰めたため、それを面白く思わない象山は、連日のように方谷に論戦を挑んだ。だが、論戦を挑むも、方谷の反論は凄まじく、ホラを吹く癖がある象山がしばしば言いくるめられたという。

ちなみに象山は、佐藤の講義をほとんど受けなかったことも有名な話だ。


◎佐藤の代表作『言志四緑』とは?

そうした巨頭を生んだ佐藤の名が、後世にも広く知られている理由は、著書『言志四緑(げんししろく)』による。

言志四緑とは、『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋(てつ)録』の4書の総称を指し、「武士としてどうあるべきか」などの心構えについて書き記したものだ。特に有名なのは、『言志晩録』第60条にある以下の文章である。

「少(しょう)にして学べば、則ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」

(現代語:少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何事かを為すことができる。壮年のときに学んでおけば、老年になっても気力が衰えることはない。老年になっても学んでおけば、ますます見識が高くなり、社会に役立つこととなり、死んでからもその名は残る)

この名文は「三学戒」と言われ、佐藤が重んじた「生涯学習」の大切さをよく示しているとされている。


◎西郷隆盛のあの言葉も

続いて、有名な一文としては、『言志録』第3条に記された次のものだろう。

「凡そ事を作(な)すには、須(すべか)らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず」

(現代語:仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといった気持ちがあってはならない)

これは後に、西郷隆盛が「人を相手とせず、天を相手とせよ。天を相手として己を尽くし、人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」という、有名な言葉を生み出すきっかけにもなった。


◎偉人は「人間学」を極めている

佐藤が、『言志四緑』の中で最も言及している言葉は、「志」だ。「人間が生きる意味は何か」、「どのように死ぬべきか」などに常に思いを向けていたためであろう。

当時の学問であった朱子学や陽明学などは、押しなべて「人間学の宝庫」だった。そうした書物を紐解く中で、多くの偉人は、自らの心を練り、難局に当たっていったのだ。

だが、現代に目を転じてみると、現在の学問には、人間学が消え失せ、技術を重視する「実学」に傾倒している嫌いがある。もちろん、そうした学問からは、実用性に長けた人々が輩出されるだろうが、人間が最も考えるべき「人生の意味」などに思いを巡らす機会はほとんどない。その結果、物事を深く考え、軽挙妄動しない「深沈厚重」(『呻吟語』)の境地に至る大人物が生まれづらくなっている。

佐藤の思想からは、現代人が忘れている「本当の学問の意義」について示唆に富むものが多い。それが、「指導者のバイブル本」と言われる理由でもある。
(山本慧)

【関連記事】
2016年2月11日付本欄 司馬遼太郎 没後20年 たった1本のペンで歴史を変えた国民的作家
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10902

2015年8月4日付本欄 古典・宗教書を読む人こそ、マネジメントができる理由【『あらゆる本が面白く読める方法』著者・一条真也氏に聞く】
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10000

2015年7月1日付本欄 構想力の人 横井小楠の生涯を振り返る
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9848

2013年5月号 明治維新はなぜ起きたのか? 思想的源流を探る - 新たなルネッサンスへ 大川隆法・霊言シリーズの衝撃
http://the-liberty.com/article.php?item_id=5799

2011年11月号 読書時間が多い人ほど成功する(1)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=2940

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大川隆法 「この世、地上世... | トップ |  参院選 山口選挙区 明治維新... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事