永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(120)

2019年05月07日 | 枕草子を読んできて
一〇七 雨のうちはへ降るころ (120) 2019.5.7
 
 雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使ひにて、式部丞のりつねまゐりたり。例の御褥さし出だしたるを、常よりも遠く押しやりてゐたれば、「あれはたれが料ぞ」と言へば、笑ひて、「かかる雨にのぼりはべらば、足がたつきて、いとふびんにきたなげになりはべりなむ」と言へば、「など。けんそく料にこそはならめ」と言ふを、「これは御前に、かしこう仰せらるるにはあらず。のぶつねが足がたのことを申さざらしかば、えのたまはざらまし」とて、かへすがへす言ひしこそをかしかりしか。
◆◆雨が引き続いて降るころ、今日も降るのに、帝の御使いとして、式部丞のりつねが中宮様の御方に参上している。いつものように御敷物を差し出してあるのを、普段よりも遠くに押しやって座っているので、「あれは誰が使う物ですか」と言うと、笑って「こんな雨の時に参上しますなら、足の跡がついて、たいへん不都合で汚らしくなってしまいましょう」と言うので、「どうしてでしょうか。ケンソク(不審)料にこそはなりましょうのに」と言うのを、「これはあなたさまが、上手く仰せになるのではない。(気が利いた言い方?)のぶつねの足の跡のことを申しませんでしたら、おっしゃれなかったでしょう」と言って、繰り返し繰り返し言うのこそはおもしろかった。◆◆

■うちはへ=長引いて。引き続いて。
■のりつね=後の文では、「のぶつね」とあり、不審。「のぶつね」は藤原信経で、長徳3年(997)正月式部丞(式部省の三等官)になっている。


 「あまりなる御身ぼめかな」とかたはらいたく、「はやう、大后の宮に、ゑぬたきといひて名高き下仕へなむありける。美濃の守にて失せにける藤原の時柄、蔵人なりける時、下仕へどもある所に立ち寄りて、『これやこの高名のゑぬたき。などさも見えぬ』と言ひける返事に、『それときはに見ゆる名なり』と言ひたりけるなむ、『かたきに選りても、いかでかさる事はあらむ』と、殿上人、上達部までも、興ある事にのたまひける。またさりかるなンめりと、今までかく言ひ伝ふるは」と聞こえたり。「それまた時柄と言はせたるなり。すべて題出だしからなむ、文も歌もかしこき」と言へば、「げにさる事あることなり。さらば、題出ださむ。歌よみたまへ」と言ふに、「いとよき事。一つは何せむに、同じうはあまたをつかまつらむ」など言ふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし。まかり出でぬ」とて立ちぬ。「手も、いみじう真名も仮名もあしう書く、人も笑ひなどすれば、かくしてなむある」と言ふもをかし。
◆◆「あまりなご自慢ぶりよ」と聞き苦しく、「ずっと以前の事、大后の宮に、えぬたきといって名高い下仕えの者がありました。美濃の守在任中に亡くなってしまった藤原の時柄(ときから)が、蔵人であった時、この下仕えたちがいる所に立ち寄って、『これがこの名高いえぬたきか。どうしてそんなふうにも見えないが』と言ったのに対してえぬたきの返事に、『それは時柄―時次第―ではなく、常盤に―いつも―見える名前です』と言ったのだったのこそ、『わざわざ競争相手に選んでも、どうして、こんなうまい出会いがあるだろうか』と殿上人や上達部までも、興あることとしておっしゃったのでした。実際、またそうだったことでしょう。今にいたるまでこう言い伝えるのは」とのぶつねに申し上げた。するとのぶつねは「それはまた時柄―その時次第―で、そうした人に言わせているのです。すべて題のだしよう次第で、詩文も歌もうまくできるのです」というので、「なるほどそういうことはあることです。それならば、題を出しましょう。歌をお詠みください」と言うと、「それは大変なことだ。一つではどうしようもないから、同じ事ならばたくさんお詠みもうしあげましょう」などといううちに、中宮様から御題が出てきてしまったので、「ああ恐ろしいこと。退出いたしてしまいます」と言って、立って行ってしまった。「筆跡も、漢字も仮名もひどく下手に書くのを、人も笑などするので、筆跡を隠しているのよ」と女房たちが言うのもおもしろい。◆◆

■ゑぬたき=下仕えの名。「ゑぬ=恵奴、又犬と同じ」とあるのから、「犬抱き」「犬たぐり」を当てて命名が考えられる。


作物所の別当するころ、たれがもとにやりけるにかあらむ、物の絵様やるとて、「これがやうにつかまるべし」と書きたる真名のやう、文字の、世に知らずあやしきを見つけて、それがかたはらに、「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々取りて見て、いみじう笑ひけるに、大腹立ちてこそうらみしか。
◆◆のぶつねが作物所の別当をしていたころ、だれのところに届けたのか、工作する物の絵図面を送るということで、「これのとおりに調達申し上げよ」と書いてある漢字の書風や字体が、世にもおかしく変なのを見つけて、そのそばに、「これのとおりに調達もうしあげるなら、さぞかし異様な物が出来上がるに違いない」と書き添えて、殿上の間に届けたところ、人々がそれを手に取って見て、ひどく笑ったので、のぶつねは大層立腹して恨んだことだった。◆◆

■作物所(つくもどころ)=宮中の調度類を調達したり細工をしたりする役所。別当はその長官。