goo blog サービス終了のお知らせ 

永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(伊勢物語)

2008年09月06日 | Weblog
伊勢物語

 伊勢物語」(いせものがたり)は、平安時代初期に成立した歌物語。「在五が物語」、「在五中将物語」、「在五中将の日記」とも呼ばれる。

• むかし、おとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに、伊勢、おはりのあはひの海づらを行くに、浪のいと白く立つを見て、
いとゞしく過ぎゆく方の恋しきにうら山(やま)しくもかへる浪かな
となむよめりける。

 全125段からなり、ある男の元服から死にいたるまでを歌と歌に添えた物語によって描く。歌人在原業平の和歌を多く採録し、主人公を業平の異名で呼んだりしている(第63段)ところから、主人公には業平の面影がある。ただし作中に業平の実名は出ず、また業平に伝記的に帰せられない和歌や挿話も多い。中には業平没後の史実に取材した話もあるため、作品の最終的な成立もそれ以降ということになる。書名の文献上の初見は源氏物語(絵合の巻)。

 そのような場合も含めて、個人の作者として近年名前が挙げられる事が多いのは、紀貫之らであるが、作者論は現在も流動的な状況にある。

 ◆写真 伊勢物語図色紙 「若草の妹」
    伝 俵屋宗達筆 江戸時代 出光美術館蔵

源氏物語を読んできて(151)

2008年09月05日 | Weblog
9/5  151回

【絵合(えあわせ)の巻】  その(8)

 源氏は、このようなこともあろうかと、極上のものの中に、かの須磨、明石の二巻も思うところがあって、これらに加えてお上げになります。もとより権中納言とても、ひけをとるまいと、意気込んでいらっしゃいます。秘密の部屋を設けて、そこで描かせておいでらしい。

 朱雀院もこのことをお聞きになって、梅壺女御に御絵をお贈りになります。

「年の内の節会どもの面白く興あるを、昔の上手どものとりどりに書けるに、延喜の御手づから、事心の書かせ給へるに、またわが御世の事も書かせ給へる巻に、かの斎宮の下りし日の大極殿の儀式、御心にしみて思しければ、書くべきやうくはしく仰せられて、公茂が仕うまつれるが、いといみじきを奉らせ給へり。」
――宮中の年中行事などの面白く趣深い場面を、昔の名人たちがそれぞれ趣向を凝らして書かれたものの上に、醍醐の帝が自らその絵の意味をお書きになったもの。また朱雀院ご自身の御代のこともお書かせになった絵巻の中に、かの斎宮が伊勢に下られる日の大極殿の儀式を、お心に沁みてお思いになっていましたので、構図なども詳しくお指図されて、巨勢公茂(こせのきんもち)がお描き申し上げ、大層見事にできていますのも、お届けになります。――

 院から、梅壺の女御へのお便りは、左近の中将をお使いに立てての口上で、

朱雀院のうた
「身こそかくしめの外なれそのかみの心のうちをわすれしもせず」
――私の身はこうして内裏を離れていますが、あの当時の思いは、今も忘れてはいない――とだけ。

 梅壺の女御は、お返事をなさらないのも、畏れ多いことですので、昔、斎宮としてお使いの、かんざしの端を少し折って、

「しめのうちは昔にあらぬ心地して神代のこともいまぞ恋しき」
――御所内も昔と変わったような心地がしますが、ご在位当時が今更懐かしく思われます――

「縹の唐の紙につつみて参らせ給ふ。御使いの禄などいとなまめかし」
――薄藍の唐の紙に包んでお上げになります。お使いの左近中将への賜り物などたいそう優美です――

 朱雀院は女御の御返歌をご覧になるにつけても、限りもなくあわれにお心が動かれて、ご在位の頃をなつかしく、あの頃を取り返したいようにさえ思われるのでした。前斎宮を冷泉帝に進められた源氏をつれないとお思いになったことでしょう。これも昔、源氏を須磨へ左遷させた御報いでありましょうか。

ではまた。


源氏物語を読んできて(竹取物語②)

2008年09月05日 | Weblog
竹取物語のあらすじ②

 彼らがあきらめそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「女は男と結婚するものだ。お前も彼らの中から選びなさい」というと、かぐや姫は「なぜ結婚などしなければならないの」と嫌がるが、「『私の言うものを持ってくることができた人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。

 夜になると、例の五人が集まって来た。翁は五人の公達を集め、かぐや姫の意思を伝えた。
 その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、庫持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘、大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持ってこさせるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。

 石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って取ろうとして腰を打ち、断命。結局誰一人として成功しなかった。

 そんな様が帝(みかど)に伝わり、姫に会いたがった。喜ぶ翁の取りなしにも関わらず彼女はあくまで拒否を貫くが、不意をついて訪ねてきた帝に姿を見られてしまう。しかし、一瞬のうちに姿を消して地上の人間でないところを見せ、結局帝をも諦めさせた。しかし、彼と和歌の交換はするようになった。

 帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であり、十五日に帰らねばならぬ」という。それを帝が知り、翁の意を受けて、勇ましい軍勢を送ることとなった。

 そして当日、子の刻頃、空から天人が降りてきたが、軍勢も翁も嫗も戦意を喪失し抵抗できないまま、かぐや姫は月へ帰っていく。別れの時、かぐや姫は帝に不死の薬と天の羽衣、帝を慕う心を綴った文を贈った。しかし帝はそれを駿河国の日本で一番高い山で焼くように命じた。それからその山は「不死の山」(後の富士山)と呼ばれ、また、その山からは常に煙が上がるようになった。(おわり)

◆写真 :月へ帰って行くかぐや姫

源氏物語を読んできて(150)

2008年09月04日 | Weblog
9/4  150回

【絵合(えあわせ)の巻】  その(7)

 女房たちが絵についていろいろと論議を戦わすのをお聞きになって、右と左とに三人づつお分けになります。
 先ず、物語の親ともいうべき、「竹取の翁」に「俊蔭」を合わせて争わせます。

左方は、
「……かぐや姫のこの世の濁りにも穢れず、遙かに思ひのぼれる契りたかく、神世のことなめれば、浅はかなる女、目及ばぬならむかし」
――(これは古物語で特別というわけではありませんが)、かぐや姫がこの世の濁りにも穢れず、気位高く、はるかに遠く天へ上られました宿縁はえらいもので、浅はかな女には、目にも及ばないことでしょう――

 すると右方は反対として、こう言います。
「……この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、百敷(ものしき)のかしこき御光には、ならはずなりにけり。……」
――現世のご縁は、竹の中で生まれたのですから、素性は卑しい人と思われます。身の光で、家の中を照らしたでしょうが、宮中に入内して尊い帝の御光に並ぶ后の位には上りませんでした。(かぐや姫を妻に求めてきた五人の男のうち、阿倍多(あべのおおし)が、千金を捨てて、折角火鼠のかわごろもを買った切ない思いも、火に焼かれてあっという間に消えてしまったのは、なんとはかないことでしょう。車持親王(くらもちのみこ)もまた。……(つまりかぐや姫は、無理難題と知りながら、玉の枝にも自分の身にも疵をつけたこともよくない点です)――

 竹取物語の絵は、巨勢相覧(こせのおうみ)、字は紀貫之(きのつらゆき)です。

 次に右方は、宇津保物語の俊蔭のことを言います。絵は常則、字は小野東風です。

 次に、伊勢物語と正三位(しょうさんみ=散逸)を合わせて……などと進みますが、なかなか勝負がつきません。

 源氏も参内なさって、このように絵について思い思いに言い争い、色めき立っていますのを興あるものと思われて、

「同じくは、御前にてこの勝負定めむ、と宣ひなりぬ」
――おなじことなら、帝の御前でこの勝負を決めようではありませんか、ということになりました――

ではまた。

源氏物語を読んできて(竹取物語①)

2008年09月04日 | Weblog
竹取物語
 
 竹取物語(たけとりものがたり)は、日本最古とされる物語である。竹取物語は通称であり、「竹取翁の物語」とも「かぐや姫の物語」とも呼ばれた。成立年、作者ともに不詳。仮名によって書かれた最初期の物語の一つでもある。
 
 当然、原本は現存せず、最古の写本は天正年間(安土桃山時代)のものである。しかし、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。

 羽衣伝説、地名起源伝説などを付加しながら、貴族社会の現実を風刺を交えて描き出している。高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品として評価されている。

竹取物語のあらすじ①

 今は昔、竹を取りいろいろな用途に使い暮らしていた竹取の翁(おきな)とその妻の嫗(おうな)がいた。ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。切ってみると、中から三寸ほどの可愛らしい女の子が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人を呼んで名前をつけることになった。呼ばれてきた人は、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。この時、上下を問わず人を集めて、三日に渡り祝宴をした。

 世間の男たちは、高貴な人も下層の人も皆なんとかしてかぐや姫と結婚したいと思った。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは竹取の翁の家の周りで過ごしていた。そのうちに熱意のないものは来なくなっていった。最後に残ったのは好色といわれる5人の公達で、彼らはあきらめず夜昼となく通ってきた。5人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。(つづく)

◆絵:幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)

源氏物語を読んできて(149)

2008年09月03日 | Weblog
9/3  

【絵合(えあわせ)の巻】  その(6)

 紫の上の言葉に、源氏も今更にあわれを覚えられて、
「うきめ見しそのをりよりも今日はまた過ぎにしかたにかへる涙か」
――今日こうして、この絵を見ると、当時に返る思いがして、辛かったあの頃より、余計に涙がながれる――

「中宮ばかりには、見せ奉るべきものなり」
――この日記は、藤壺だけにはお目にかけねばならないものだ――

と、見苦しくなさそうなものを、お選びになるついでにも、明石の住いのことが思い出されて、まずどうしているのかと、片時もお忘れにはなれないのでした。

 このように源氏も絵を集めておられるとお聞きになって、権中納言は、いっそう熱心に、絵物語の軸、表紙、紐の飾りを立派にお整えになります。

 季節は三月の十日ほどの頃で、空の景色もうららかに、人々の心も伸び伸びして、趣ぶかい季節ですが、取り立てて節会などもないので、内裏では、ただただこのように、絵をもてあそぶような日を送っておられます。

 源氏は、同じ事なら、帝がいっそう興深くご覧になれるようにして差し上げたいとのお心も加わって、特に気を入れて集められた数々を、斎宮女御の方へお上げになりました。

「梅壺の御かたは、いにしへの物語、名高くゆゑある限り、弘徴殿は、その頃世にめづらしく、をかしき限りを選り書かせ給へれば、うち見る目の今めかしきはなやかさは、いとこよなくまされり。」
――梅壺の女御(前斎宮が入内後、梅壺に住まわれたので、このように呼ばれる)の方は、昔の物語の名高い趣のあるものばかりを。これに対して、弘徴殿女御の方は、その頃、世にめずらしく興のあるものばかりを選んでお描かせになりましたので、ちょっと見た目のはなやかさでは、ずっと立ち勝っているように見えます――

 帝にお付きしている上臈の女房で、絵に嗜みのある者たちは、この絵は、あの絵はなどと、批評し合うのを、この頃の仕事にしているようです。

 その様なある日、藤壺中宮も参内なさった頃のこと、

「かたがたご覧じつつ棄てがたく思ほすことなれば、御行いも怠りつつご覧ず」
――藤壺の中宮は、もともとお好きな道ですので、仏前の勤行も怠ってはご覧になるのでした。――

◆絵合わせ=平安時代貴族の間で盛んにおこなわれた「物合わせ」の一つ。左右に組を分け、判者を立て、おのおの絵や、絵に和歌を添えたものを出し合って優劣を競う。

◆写真:絵巻物

ではまた。



源氏物語を読んできて(王昭君)

2008年09月03日 | Weblog
『王昭君(おうしょうくん)』

 王昭君は漢の元帝(在位48-33B.C.)の後宮に入りました。元帝は絵師に後宮の女の絵を描かせて、美しい女を召しましたので、女どもは絵師に賄賂を贈って美しく描いてもらい皇帝の寵を得ようとしました。王昭君だけは賄賂を贈りませんので醜く描かれ、一度も元帝に召されませんでした。
 
 その頃、漢は北方の匈奴と友好関係ができ、匈奴の王が漢王宮の女を娶りたいと申し入れました。元帝はこれに応じて、一番醜い王昭君を嫁がせることにしました。送別の宴で、元帝ははじめて王昭君をみてその美しさに驚き後悔しましたが、匈奴の王と約束した後であり、やむをえず送り出しました。
 
 嫁入りの途次、砂漠の鷹が王昭君の美しさに目がくらんで空から落ちたといわれています。匈奴との和親政策の犠牲になった女性として、文学・絵画の題材になりました。

源氏物語を読んできて(148)

2008年09月02日 | Weblog
9/2  148回
【絵合(えあわせ)の巻】  その(5)

権中納言は、
「物語絵こそ心ばへ見えて、見どころあるものなれ」
――物語中の人物や、景色、事件を描いた絵こそ、描いた者の心構えも窺われて見応えのあるものだ――

 と、趣深く、興味ある物語ばかりをお選びになって描かせております。帝はこれらの入念で面白く描かれた絵を、斎宮女御の所でご覧になろうとなさいますが、権中納言は極く秘密になさって、斎宮方へはお持ちにならないようにと、仕舞われたとか。

 源氏がこのことをお聞きになって、
「なほ権中納言の御心ばへの若々しさこそ、改まり難かめれ、など笑ひ給ふ」
――やはり権中納言の子供っぽい気持ちは、相変わらずだな、とお笑いになります。――

「あながちに隠して、心安くもご覧ぜさせず、悩まし聞ゆる、いとめざましや。古代の御絵どもの侍る、参らせむ」
――無理に隠して、気安くもお目にかけず、お気を揉ませ申すとは心外なことです。私の所にも古代の絵がいろいろございます。早速差し上げましょう――

 と、帝に奏上なさって、二條院で古い絵や、新しい絵の入っている厨子(ずし)を開かせて、紫の上とご一緒に、その中から今の世に愛でられそうなものを選び出してお揃えになります。『長恨歌(ちょうごんか)』、『王昭君(おうしょうくん)』などの絵は、趣深くはありますが、女としては不幸な物語なので、お選びにはなりません。

 源氏が須磨で描かれた絵日記の箱も取り出させて、ついでに紫の上にお見せになります。お二人にはあの頃の辛い思いがよみがえってくるようでした。紫の上は今までお見せくださらなかったお恨みを込めて、

「一人居てなげきしよりはあまのすむかたをかくてぞ見るべかりける、おぼつかなさは、なぐさみなましものを、と宣ふ」
――私は一人京に残って嘆いておりましたが、それよりも須磨に下って、海士の生活を絵に描いて居とうございました。どんなにかあのおぼつかなさが、なぐさめられましたでしょうに、とおっしゃる――

◆写真 厨子(ずし)・・・収納具
 本来、仏像を安置するものであるが、本箱や置戸棚のようにも用いられ、冊子や巻物を収納した。

ではまた。

源氏物語を読んできて(長恨歌)

2008年09月02日 | Weblog
『長恨歌(ちょうごんか)』

 長恨歌は、中国・唐の時代、白居易806年(元和元年)によって作られた長編の漢詩である。安禄山の乱で楊貴妃を失った玄宗皇帝の深い悲しみをうたった壮大な叙事詩。源氏物語など、日本の文学にも多大な影響を与えたといわれる。

あらすじ

 漢の王は長年美女を求めてきたが満足しえず、ついに楊家の娘を手に入れた。それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

 その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。

 反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。

 道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

 太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」、かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

◆写真:中国・四美女の図

源氏物語を読んできて(147)

2008年09月01日 | Weblog
9/1  

【絵合(えあわせ)の巻】  その(4)

 源氏が朱雀院に参上しました折りに、朱雀院は、前斎宮が伊勢に下向なさった折りのことなど、しんみりとお話なさいますが、前斎宮を思う心があったなどとはお話になりません。源氏は朱雀院のご様子を承知している風にはお見せしないで、ただ朱雀院のお気持ちを知りたくて、なにかにと前斎宮にお話を向けられますが、院はただ深く思い沈んでおられます。

 源氏は、朱雀院が前斎宮を、これほどに恋しく思われることに、
「めでたしと、思ししみにける御容貌、いかやうなるをかしさにか、とゆかしう思ひ聞え給へど、さらにえ見奉り給はぬを、ねたう思ほす」
――院が、綺麗だという印象を持たれた、前斎宮のご容貌は、いったいどんな美しさなのかと、源氏は拝見したくお思いになりますが、まったくご覧になれないのが、なんとも口惜しいと思うのでした――

 源氏は、以前に、前斎宮がもっと子供っぽくいらしたころ、ちらっとでもそのご容貌を垣間見る機会でもあったならば……と思ったりもなさいましたが、今は奥ゆかしさが勝って落度のない、女御として実に理想どおりではあるよ、とも思われるのでした。

 「二所の御おぼえども、とりどりにいどみ給へり。」
――帝のお二方へのご寵愛はそれぞれで、お互いに競い合っていらっしゃるように見えます――

さて、
 冷泉帝は何にも増して絵にご興味をお持ちで、御自分でも上手にお描きになります。斎宮女御もたいそう面白くお描きになりますので、こちらにお心が移られて、始終お出でになっては、ご一緒に絵を描き合っていらっしゃいます。
斎宮女御の愛らしい風情に、帝は、以前にも増して、しげしげとお越しになり、いっそうご寵愛が増さってみえますのを、権中納言がお聞きになって、負けず嫌いなご性格で、こちらも負けてなるものかと力こぶを入れて、

「すぐれたる上手どもを召し取りて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵どもを、二なき紙どもに書き集めさせ給ふ」
――絵の名手たちをお召しになり、厳格に注意して、またとないほどの絵の数々を、これまた二つとない料紙にいろいろとお描かせになります――

ではまた。