一〇八 淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その5 2019.7.24
しばしありて、式部丞なにがしとかや、御使ひまゐりたれば、おものやりとの北に寄りたる間に、御褥さし出でて、御返りは、今日はとく出ださせたまひつ。まだ褥も取り入れぬほどに、春宮の御使ひに、周頼の少将まゐりたり。御文取り入れて、殿、うへ、宮など御覧じわたす。「御返りはや」などあれど、とみにも聞こえたまはぬを、「なにがしが見はべれば、書きたまはぬなンめり。さらぬをりは間もなく、これよりぞ聞こえたまふなる」など申したまへば、御面はすこし赤みながら、すこしうちほほゑみたまへる、いとめでたし。「とく」など、いへも聞こえたまへば、奥ざまに向きて書かせたまふ。
◆◆しばらくして、式部丞なにがしという者が、主上の御使いに参上したので、配膳室の北に寄っている間に、御敷物を差し出して、中宮様からのご返事は、今日はちゃんと早くお出しあそばされた。まだその敷物を中に取り入れないうちに、東宮から淑景舎への御使いとして、周頼(ちかより)の少将が参上している。東宮のお手紙を中に取り入れて、あちらの渡殿はせまい縁なのでこちらの縁に敷物を差し出している。お手紙を中に取り入れて、殿、北の方、中宮様などご回覧あそばす。殿から、「ご返事を早く」などとお言葉があるけれど、淑景舎は急にもご返事申しあげなさらないのを、殿が、「わたしが見ておりますので、お書きにならないのでしょう。そうでない折にはひっきりなしに、こちらからお手紙をお差し上げになるということですね」などと申し上げなさると、御顔は少し赤くなりながら、少しはにかみの笑みをうかべていらっしゃるのは、とても素晴らしい。「早く」などと、北の方も申しあげなさるので、奥の方に向いてお書きあそばされる。◆◆
■周頼(ちかより)=右近少将藤原周頼(ちかより)。伊周たちの異腹の弟。道隆の六男。
うへ近く寄りたまひて、もろともに書かせたてまつりたまへば、いとどつつましげなり。宮の御方より、萌黄の織物の小袿、袴押し出だされたれば、三位中将かづけたまふ。苦しげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、たれもたれもうつくしがり聞こえたまふ。「宮の御子たちとて引き出でたらむに、わろくは侍らじかし」などのたまはするを、「げに、などか今までさる事の」とぞ心もとなき。
◆◆北の方が傍にお寄りになって、ご一緒にお書かせ申し上げなさるので、いよいよお恥ずかしそうである。中宮様の御方より、萌黄の織物の小袿、袴をお使いの禄として、縁の方に押し出されているので、三位の中将がお使いの者の方にお掛けになる。お使いの者は重くて苦しそうに思って立って行った。松君が何やらおもしろく仰るのを、誰もかれもおかいわがり申し上げなさる。殿が「中宮様の御子たちだといって人前に引き出したところで、劣ることはございますまいよ」などと仰せあそばすのを、「本当に、どうして中宮様には、そうしたことが(ご出産)おありにならないのか」と私は心もとない気がする。◆◆
■三位中将かづけたまふ=隆家が使者周頼の肩に載せる。「かづく」は、禄の衣装をもらうときの作法。
■さる事の=「さる事のなき」の略。「さる事」は、お子をお持ちになること。
■心もとなき=かくありたいという願望にたいして現状が不備である場合の、不安な、じれったい気持ちを表す語。
しばしありて、式部丞なにがしとかや、御使ひまゐりたれば、おものやりとの北に寄りたる間に、御褥さし出でて、御返りは、今日はとく出ださせたまひつ。まだ褥も取り入れぬほどに、春宮の御使ひに、周頼の少将まゐりたり。御文取り入れて、殿、うへ、宮など御覧じわたす。「御返りはや」などあれど、とみにも聞こえたまはぬを、「なにがしが見はべれば、書きたまはぬなンめり。さらぬをりは間もなく、これよりぞ聞こえたまふなる」など申したまへば、御面はすこし赤みながら、すこしうちほほゑみたまへる、いとめでたし。「とく」など、いへも聞こえたまへば、奥ざまに向きて書かせたまふ。
◆◆しばらくして、式部丞なにがしという者が、主上の御使いに参上したので、配膳室の北に寄っている間に、御敷物を差し出して、中宮様からのご返事は、今日はちゃんと早くお出しあそばされた。まだその敷物を中に取り入れないうちに、東宮から淑景舎への御使いとして、周頼(ちかより)の少将が参上している。東宮のお手紙を中に取り入れて、あちらの渡殿はせまい縁なのでこちらの縁に敷物を差し出している。お手紙を中に取り入れて、殿、北の方、中宮様などご回覧あそばす。殿から、「ご返事を早く」などとお言葉があるけれど、淑景舎は急にもご返事申しあげなさらないのを、殿が、「わたしが見ておりますので、お書きにならないのでしょう。そうでない折にはひっきりなしに、こちらからお手紙をお差し上げになるということですね」などと申し上げなさると、御顔は少し赤くなりながら、少しはにかみの笑みをうかべていらっしゃるのは、とても素晴らしい。「早く」などと、北の方も申しあげなさるので、奥の方に向いてお書きあそばされる。◆◆
■周頼(ちかより)=右近少将藤原周頼(ちかより)。伊周たちの異腹の弟。道隆の六男。
うへ近く寄りたまひて、もろともに書かせたてまつりたまへば、いとどつつましげなり。宮の御方より、萌黄の織物の小袿、袴押し出だされたれば、三位中将かづけたまふ。苦しげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、たれもたれもうつくしがり聞こえたまふ。「宮の御子たちとて引き出でたらむに、わろくは侍らじかし」などのたまはするを、「げに、などか今までさる事の」とぞ心もとなき。
◆◆北の方が傍にお寄りになって、ご一緒にお書かせ申し上げなさるので、いよいよお恥ずかしそうである。中宮様の御方より、萌黄の織物の小袿、袴をお使いの禄として、縁の方に押し出されているので、三位の中将がお使いの者の方にお掛けになる。お使いの者は重くて苦しそうに思って立って行った。松君が何やらおもしろく仰るのを、誰もかれもおかいわがり申し上げなさる。殿が「中宮様の御子たちだといって人前に引き出したところで、劣ることはございますまいよ」などと仰せあそばすのを、「本当に、どうして中宮様には、そうしたことが(ご出産)おありにならないのか」と私は心もとない気がする。◆◆
■三位中将かづけたまふ=隆家が使者周頼の肩に載せる。「かづく」は、禄の衣装をもらうときの作法。
■さる事の=「さる事のなき」の略。「さる事」は、お子をお持ちになること。
■心もとなき=かくありたいという願望にたいして現状が不備である場合の、不安な、じれったい気持ちを表す語。