一〇四 五月の御精進のほど、職に (117) その4 2019.4.9
さてまゐりたれば、ありさまなど問はせたまふ。うらみつる人々、怨じ心憂がりながら、籐侍従、一条の大路走りつるほどに語るにぞ、みな笑ひぬる。「さていづら歌は」と問はせたまふ。かうかうと啓すれば、「くちをしの事や。上人などの聞かむに、いかでかをかしき事なくてあらむ。その聞きつらむ所にて、ふとこそよまましか。あまりぎしきことさめつらむぞ。あやしきや。ここにてもよめ。言ふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひ合はせなどするほどに、籐侍従の、ありつる卯の花つけて、卯の花の薄様に、
郭公の鳴く音たづねにきみ行くと聞かば心を添へもしてまし
◆◆そうして中宮様に参上しますと、今日の様子などをお聞き遊ばされます。一緒に行けなった人々が、嫌味を情けながったりしながら、籐侍従が一条大路を走ったところに話がくると、みな笑ってしまった。「さて、ほととぎすの歌はどこに」と中宮様がお尋ねあそばされる。こうこうでございましたと、申し上げると、「残念なことよ。殿上人たちが聞こうとするだろうに、どうしてそなたたちに良い歌が詠めていないなどということがあろうか。そのほととぎすの声を聞いたところで、手軽に詠めばよかったのに。あまり儀式ばっては興ざめになってしまっているのは、変なことだ。ここででも詠め。仕方がないこと」などと仰せあそばされますのも、もっともだとは思うと、確かにがっかりするので、それではと歌を作ろうと思っているところに、籐侍従が、先ほど持ち帰った卯の花につけて、卯の花色の薄様の紙に、
(籐侍従のうた)「郭公が鳴く音を探し求めにあなたが行くのだとあらかじめ聞いていたら、わたしの心をも一緒に添えもしたでしょうに、残念でした。」◆◆
返事待つらむなど、局へ硯取りにやれば、「ただこれしてとく言へ」とて、御硯の蓋に紙など入れて給はせたまへば、「宰相の君、書きたまへ」と言ふを、「なほそこに」など言ふほどに、かきくらし雨降りて、神もおどろおどろしう鳴りたれば、物もおぼえず、ただおろしにおろす。職の御曹司は、蔀をぞ御格子にまゐりわたしまどひしほどに、歌の返事も忘れぬ。
◆◆使いの者が返歌を待っているだろうからと、局に硯を取りにやると、中宮様が「ただこれに早く書け」といって、御硯の蓋に紙などを入れてお下しになられたので、「宰相の君、お書きください」というと、「やはり、あなたが」などと言っているうちに、すっかり空が暗くなって雨が降りだし、雷も恐ろしげに鳴るので、気も転倒してただただ、御格子を下ろしに下ろす。職の御曹司では蔀を御格子に重ねて大慌てにお下ろし申しあげ回ったりしているうちに、歌の返歌も忘れてしまった。◆◆
いと久しくなりて、すこしやむほどは暗くなりぬ。ただいま、なほその御返事奉らむとて、取りかかるほどに、人々、上達部など、神のこと申しにまゐりたまへば、西面に出でて、物など聞ゆるほどにまぎれぬ。人はた「さして得たらむ人こそしらめ」とてやみぬ。おほかたこの事に宿世なき日なりとうじて、「今はいかでさなむ行きたりしとだに人に聞かせじ」などぞ笑ふを、「今も、などその行きたりし人どもの言はざらむ。されども、させじと思ふにこそあらめ」と、物しげにおぼしめしたるも、いとをかし。「されど、今すさまじくなりにてはべるなり」と申す。「すさまじかるべき事かは」などのたまはせしど、やみにき。
◆◆大分たって、少し止んで来るころには暗くなってきた。とにかく、やはり籐侍従からの歌の返歌を差し上げようということで、取りかかっているうちに、色々な人や、上達部などが、雷のことでお見舞い申し上げに参上なさるので、職の西向きの部屋に出て、お相手としてお話など申し上げているうちに、歌の事は取り紛れてしまった。他の人は、とはいえ、「名指しして歌を貰っていよう人こそが、始末するがよい」ということで、終わりになってしまった。だいたい歌の事に縁のない日だと気が滅入って、「もう今は、ほととぎすの声を聞こうと行ったことさえ、人には言うまい」などと言って笑うのを、中宮様は「今でも、どうしてその行った人たちが、歌を詠めないことがあろうか。けれども、歌は詠むまいと思っているのであろう」と、不興げにお思いあそばしてしるのも、とてもおもしろい。「けれど、今は、時期をはずして、興ざめな気分になっているのでございます」と申し上げる。「興ざめであるはずのことなものか」と仰せあそばしたけれど、それなりで終ってしまった。◆◆
■うじて=「倦みす」の音便「倦んず」の「ん」無表記。
*写真は硯(すずり)。墨を水で磨り卸すために使う、石・瓦等で作った文房具である。中国では紙・筆・墨と共に文房四宝のひとつとされる。
さてまゐりたれば、ありさまなど問はせたまふ。うらみつる人々、怨じ心憂がりながら、籐侍従、一条の大路走りつるほどに語るにぞ、みな笑ひぬる。「さていづら歌は」と問はせたまふ。かうかうと啓すれば、「くちをしの事や。上人などの聞かむに、いかでかをかしき事なくてあらむ。その聞きつらむ所にて、ふとこそよまましか。あまりぎしきことさめつらむぞ。あやしきや。ここにてもよめ。言ふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひ合はせなどするほどに、籐侍従の、ありつる卯の花つけて、卯の花の薄様に、
郭公の鳴く音たづねにきみ行くと聞かば心を添へもしてまし
◆◆そうして中宮様に参上しますと、今日の様子などをお聞き遊ばされます。一緒に行けなった人々が、嫌味を情けながったりしながら、籐侍従が一条大路を走ったところに話がくると、みな笑ってしまった。「さて、ほととぎすの歌はどこに」と中宮様がお尋ねあそばされる。こうこうでございましたと、申し上げると、「残念なことよ。殿上人たちが聞こうとするだろうに、どうしてそなたたちに良い歌が詠めていないなどということがあろうか。そのほととぎすの声を聞いたところで、手軽に詠めばよかったのに。あまり儀式ばっては興ざめになってしまっているのは、変なことだ。ここででも詠め。仕方がないこと」などと仰せあそばされますのも、もっともだとは思うと、確かにがっかりするので、それではと歌を作ろうと思っているところに、籐侍従が、先ほど持ち帰った卯の花につけて、卯の花色の薄様の紙に、
(籐侍従のうた)「郭公が鳴く音を探し求めにあなたが行くのだとあらかじめ聞いていたら、わたしの心をも一緒に添えもしたでしょうに、残念でした。」◆◆
返事待つらむなど、局へ硯取りにやれば、「ただこれしてとく言へ」とて、御硯の蓋に紙など入れて給はせたまへば、「宰相の君、書きたまへ」と言ふを、「なほそこに」など言ふほどに、かきくらし雨降りて、神もおどろおどろしう鳴りたれば、物もおぼえず、ただおろしにおろす。職の御曹司は、蔀をぞ御格子にまゐりわたしまどひしほどに、歌の返事も忘れぬ。
◆◆使いの者が返歌を待っているだろうからと、局に硯を取りにやると、中宮様が「ただこれに早く書け」といって、御硯の蓋に紙などを入れてお下しになられたので、「宰相の君、お書きください」というと、「やはり、あなたが」などと言っているうちに、すっかり空が暗くなって雨が降りだし、雷も恐ろしげに鳴るので、気も転倒してただただ、御格子を下ろしに下ろす。職の御曹司では蔀を御格子に重ねて大慌てにお下ろし申しあげ回ったりしているうちに、歌の返歌も忘れてしまった。◆◆
いと久しくなりて、すこしやむほどは暗くなりぬ。ただいま、なほその御返事奉らむとて、取りかかるほどに、人々、上達部など、神のこと申しにまゐりたまへば、西面に出でて、物など聞ゆるほどにまぎれぬ。人はた「さして得たらむ人こそしらめ」とてやみぬ。おほかたこの事に宿世なき日なりとうじて、「今はいかでさなむ行きたりしとだに人に聞かせじ」などぞ笑ふを、「今も、などその行きたりし人どもの言はざらむ。されども、させじと思ふにこそあらめ」と、物しげにおぼしめしたるも、いとをかし。「されど、今すさまじくなりにてはべるなり」と申す。「すさまじかるべき事かは」などのたまはせしど、やみにき。
◆◆大分たって、少し止んで来るころには暗くなってきた。とにかく、やはり籐侍従からの歌の返歌を差し上げようということで、取りかかっているうちに、色々な人や、上達部などが、雷のことでお見舞い申し上げに参上なさるので、職の西向きの部屋に出て、お相手としてお話など申し上げているうちに、歌の事は取り紛れてしまった。他の人は、とはいえ、「名指しして歌を貰っていよう人こそが、始末するがよい」ということで、終わりになってしまった。だいたい歌の事に縁のない日だと気が滅入って、「もう今は、ほととぎすの声を聞こうと行ったことさえ、人には言うまい」などと言って笑うのを、中宮様は「今でも、どうしてその行った人たちが、歌を詠めないことがあろうか。けれども、歌は詠むまいと思っているのであろう」と、不興げにお思いあそばしてしるのも、とてもおもしろい。「けれど、今は、時期をはずして、興ざめな気分になっているのでございます」と申し上げる。「興ざめであるはずのことなものか」と仰せあそばしたけれど、それなりで終ってしまった。◆◆
■うじて=「倦みす」の音便「倦んず」の「ん」無表記。
*写真は硯(すずり)。墨を水で磨り卸すために使う、石・瓦等で作った文房具である。中国では紙・筆・墨と共に文房四宝のひとつとされる。