永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(117)その6

2019年04月19日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その6  2019.4.19

 夜うちふくるほどに、題出だして、女房に歌よませたまへば、みなけしきだちゆるがし出だすに、宮の御前に近く候ひて、物啓しなど、事をのみ言ふも、おとど御覧じて、「などか歌はよまで離れゐたる。題取れ」とのたまふを、「さるまじくうけたまはりて、歌よむまじくはりてはべれば、思ひかけはべらず」。「ことやうなる事。まことにさる事やは侍る。などかはゆるさせたまふ。いとあるまじき事なり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」と責めさせたまへど、清う聞きも入れで候ふに、こと人どもよみ出だして、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文を書きて給はせたり。あけてみれば、
 元輔がのちといはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる
とあるを見るに、をかしき事ぞたぐひなきや。いみじく笑へば、「何事ぞ何事ぞ」と、おとどものたまふ。
 「その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌はまづぞよままし
つつむ事候はずは、千歌なりとも、これよりぞ出でまうで来まし」と啓しつ。
◆◆夜が更けるころに、題を出して、女房に歌をお詠ませになるので、みな色めきたって苦心して歌をひねり出すのに、私は中宮様の御前近くに侍して、物を申し上げるなど、ただ話をだけしているのを、内大臣が御覧になって、「どうして歌を詠まないで、離れて座っているのか。題を取れ」おっしゃるのを、「そのような必要はなかろうというふうのお言葉を承りまして、歌は詠まないはずのことになっておりますの、歌の事は心にかけておりません」「変なことだな。本当にそんなことがございましたか。どうしてお許しあそばされたのですか。あるまじきことですね。まあよい。他の事は知らないが、今宵は詠め」とお責めになるけれど、きっぱりと聞き入れもしないで侍していると、他の人たちは歌を作って出して、良し悪しなどをお決めになるころに、中宮様がちょっとしたお手紙を書いてわたしにお下げ渡しになった。開けてみると、
(中宮様の歌)「そなたの父元輔の子といわれるそなたが今宵の歌に加わらないで控えているのか」
とあるのを見るのに、おもしろいことはくらべるものもないほどだ。「何だ何だ」と内大臣さまもおっしゃる。
(作者の歌)「もしも私が、だれそれの子と言われない身だったら、今宵の歌はまっさきに詠むことでございましょうのに  遠慮することがございませんなら、千首の歌でも、こちらから口をついて出てまいることでございましょうのに」と申し上げた。◆◆


■さるまじく=「さ・あるまじく」歌は詠まなくてよかろうと

■まうで来まし=「まうで来」は改まった気持ちの会話に用い、自己側の事物の動作を謙譲して言う語。出てまいりますことでございましょうのに。