蜻蛉日記 下巻 (155) 2016.12.11
「ここにも物忌みしげくて、四月は十よ日になりにたれば、世には祭りとてののしるなり。人、『しのびて』と誘へば、禊よりはじめて見る。『わたくしの御幣たてまつらん』とて詣でたれば、一条の太政大臣詣であひ給へり。いといかめしうののしるなどいへばさらなり。さしあゆみなどしたまへるさま、いたう似給へるかなとおもふに、大方の儀式もこれに劣ることあらじかし。これを『あなめでた、いかなる人』など、おもふ人もきく人も言ふを聞くぞ、いとどものはおぼえけんかし。」
◆◆私の方でも物忌みが続いて、四月は十日すぎになったので、世間では祭だと騒いでいるようだ。ある人が、「そっと出かけましょう」と誘うので、斎院の禊からはじめていろいろと見る。「私自身の幣帛を奉ろう」と賀茂神社に詣でたところ、ちょうど一条の太政大臣が参拝に詣でておられたのに出会いました。大層ご立派で堂々としていらっしゃることといったら申し分ない。悠然と歩を進めていらっしゃるご様子は、なんとまあ、あの人(兼家)に似ていることと思うと、大方の晴れ姿全般についてもあの人は、この太政大臣伊尹に劣ることはないと思うのでした。これを「まあ、なんと立派な。なんとすばらしい方」などと、感嘆する人も、それを聞いてうなずく人も、ほめそやしているのを聞くにつけても、私の心は深く物思いに沈んだことだった。◆◆
■祭=賀茂祭
■禊(みそぎ)=斎院の禊、この年四月十七日午(うま)の日に行われた。
■一条の太政大臣(いちじょうのおおきおとど)=藤原伊尹(これまさ)兼家の同母兄。一条の南、大宮の東に住んだので、一条……と呼ばれる。
「ここにも物忌みしげくて、四月は十よ日になりにたれば、世には祭りとてののしるなり。人、『しのびて』と誘へば、禊よりはじめて見る。『わたくしの御幣たてまつらん』とて詣でたれば、一条の太政大臣詣であひ給へり。いといかめしうののしるなどいへばさらなり。さしあゆみなどしたまへるさま、いたう似給へるかなとおもふに、大方の儀式もこれに劣ることあらじかし。これを『あなめでた、いかなる人』など、おもふ人もきく人も言ふを聞くぞ、いとどものはおぼえけんかし。」
◆◆私の方でも物忌みが続いて、四月は十日すぎになったので、世間では祭だと騒いでいるようだ。ある人が、「そっと出かけましょう」と誘うので、斎院の禊からはじめていろいろと見る。「私自身の幣帛を奉ろう」と賀茂神社に詣でたところ、ちょうど一条の太政大臣が参拝に詣でておられたのに出会いました。大層ご立派で堂々としていらっしゃることといったら申し分ない。悠然と歩を進めていらっしゃるご様子は、なんとまあ、あの人(兼家)に似ていることと思うと、大方の晴れ姿全般についてもあの人は、この太政大臣伊尹に劣ることはないと思うのでした。これを「まあ、なんと立派な。なんとすばらしい方」などと、感嘆する人も、それを聞いてうなずく人も、ほめそやしているのを聞くにつけても、私の心は深く物思いに沈んだことだった。◆◆
■祭=賀茂祭
■禊(みそぎ)=斎院の禊、この年四月十七日午(うま)の日に行われた。
■一条の太政大臣(いちじょうのおおきおとど)=藤原伊尹(これまさ)兼家の同母兄。一条の南、大宮の東に住んだので、一条……と呼ばれる。